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シモーヌ・ヴェーユ「一叙事詩をとおして見たある文明の苦悶」読了
(旧サイトから転載)


僕たちが地球上で人間として生きる限り、なんらかの「国」と関係を持つ。たとえば日本。それは、統一された「ひとつのもの」として把握される。それと同時に、ある一定の領土とそこに住まう国民がその「ひとつのもの」に属するものとして統一的に認識される。「ひとつの国」という想像が成立するわけだ。その一例が、「日本国」という観念。これはちゃんと祖国を持つ者にとっては空気のような存在で、ふだんはあまり気にも留めていない。「よし、空気を吸おう!」なんて気合いを入れて呼吸をする者がいないのと同じだ。しかし、ひとたびその空気がなくなったとき、僕たちはあらためて空気が存在していたことを痛感する。そのことは祖国分裂者やクレオール、無国籍者の例をみれば想い半ばに過ぎるだろう。たとえば前田日明、たとえばフジ子・ヘミング。ひとたび祖国を「選択」すべき立場に立たされたとき、空気のようだった「ひとつのもの」は、何か異質なかたまりのようなものとなり、「根こぎ」になってわれわれの目の前に現れるだろう。

ヴェーユが「一叙事詩をとおして見たある文明の苦悶」と「オク語文明の霊感は何にあるか?」をものしたとき、彼女は祖国喪失の淵に立たされていた。そういう時期にあった彼女が、「フランス」という観念のヴェールにより上書きされロストしてしまった、もはや地球上に存在しない「ひとつのもの」、南仏オク語国家に想いを寄せていたのは、いかなる内的必然があっただろうか。いまとなっては想像力に訴えるしかなくなってしまった事情は、運命の女神nornsのみぞ知るところだ。

今宵僕は二つの論文のうちひとつを読了したわけだが、これを読むとヴェーユがいかにこの中世ラングドックの都市文明に「想いを寄せていた」かを思い知らされる。なにしろ、歴史において精神的自由と寛容、豊穣さが高度に達成された時期はたったの二回だけで、それが古代ギリシャ文明と中世オク語文明だというのだ。近代文明を生きるわれわれは、いま現在こそ最高度に精神的・身体的自由が達成されていると考えがちだが、ヴェーユに言わせれば、近代の自由はその達成度の高さにおいて、ギリシャ文明やオク語文明に遠く及ばないという。

ヨーロッパは、この戦争の結果失われた精神の自由を、以後おなじ程度に見出したことはけっしてなかった。というのは、十八世紀と十九世紀の思想闘争から除去されたのは、もっとも粗雑なかたちの力だけであった。(P.210)

「この戦争」というのは、アルビジョア十字軍戦争のことである。当時フランスはカペー王朝を中心とする北仏と、トゥールーズ伯家を政治的中心とする南仏とに分裂していた。中世ヨーロッパといえばカトリック教会権力の全盛期という認識をされるのが一般的だが、当の南仏の場合はそれにあてはまらない。当時の南仏は都市文明が栄えていて、カタリ派信仰に象徴される独自の文化をかたちづくっていた。そこはあらゆる精神の富が流入してくる条件を備えており、北方、イタリア半島はもちろん、アラブやペルシア、さらにはエジプト文化までも流入し、それらがほどよく混交していた。南仏の精神文化は寛容で、異なるものを受け入れる土壌をもっていたのだ。ある意味ではカタリ派の信仰こそそうした多文化的状況を象徴するもので、それはキリスト教異端信仰のひとつとみなされているけれども、その実態は東方正教会の信仰(とりわけブルガリアのそれ)やグノーシス思想、さらには遠くマニ教の影響も指摘される、地中海精神文化の見本市のようなものだったらしい。

ところが、この多様性が問題だったのだ。ヴェーユも指摘しているように、現代を生きる僕たちは西欧中世について、不寛容こそその時代の宿命だったと考える。もちろんそれはカトリック教会の権威によるものだ。中世カトリック教会は、自らの教会こそ地上に実現された神の王国だと考え、その組織の中にキリスト教信仰のすべてを包摂しようとした。もともと多様でバラバラだった信仰をひとつのパースペクティブのもとに統合しようとするときに起こることは、信仰の内面化である。内面化された信仰は自己同一性をもちはじめ、つねにそれが「地上唯一のもの」であることを確認しようとする衝動をもつ。もちろん不純な要素があってはマズイ。不純な要素は、せっかく打ち立てた「地上唯一の」システムをふたたびバラバラにしてしまう。だからカトリック教会は、みずからの解体の契機にもなりかねない異端信仰を敵視した。それがグノーシス主義の生き残りとあっては尚更だ。グノーシス主義は、原始キリスト教会確立期において最大の脅威だった。カタリ派は、カトリック教会のトラウマを呼び起こしてしまったのだ。

ましてカタリ派の故地・南仏はトゥールーズ、カルカソンヌ、フォワ、モンペリエ、マルセイユ等の都市文化が栄え、西欧でもっとも繁栄した土地だった。首府だったトゥールーズは、ヴェネツィア、ローマに次ぐ、西欧第三の都市だった。それに対し、カトリックの支配地域は農村主体の土臭い田舎。北仏の諸侯たちは南仏都市国家群の繁栄をさぞ嫉ましく思っていたことだろう。そんなときに下った異端カタリ派排撃の勅命は、かれらにとって願ったり叶ったりだったに相違ない。こうして、1209年のカルカソンヌ侵攻から1244年のモンセギュール要塞陥落まで前後36年にも及ぶアルビジョア十字軍戦争は始まった。

まさにその精神的自由と豊穣ゆえに呼び寄せた災厄は、大量虐殺、略奪と放火などのかたちで南仏全体に降りかかり、地中海精神の精華だった南仏文明を徹底的に破壊した。以後、信仰を失い、独自の文化も言語も失った南仏ラングドックは、フランスという「ひとつのもの」のなかの一部分=片田舎と化し、存在を忘却されてゆくことになる。ヴェーユが注目した「一叙事詩」、即ち『アルビジョア十字軍叙事詩』(略して『十字軍詩』)がつくられたのは、この戦争も最末期に近い時分のことだ。

『十字軍詩』には、ひとつの文明の崩壊がうたわれている。ほんの少し以前には飛躍の一途を辿っていたひとつの文明のことごとくが、突然の武力の暴威によって死の痛手をこうむり、永遠に消え去るべき運命のもとに置かれ、そして最後の苦悶にあえぐ姿は、トロイア文明の崩壊の物語としてホメロスが『イリアス』にうたいあげたところだ。現代人は『イリアス』に「崇高」の概念を付すだろうが、未曾有の繁栄と永久消滅とを同時にうたったという意味では、『十字軍詩』もおなじ「崇高な」境遇に置かれている。ヴェーユがラングドック文明をギリシャのそれに準えたのも肯ける。


力も精神の諸価値を滅ぼすには無力であるという月並な表現ほど、過去にたいして残酷なものはない。こうした意見のために、人は軍隊の暴力によって滅亡させられた文明がかつて存在したことを否定する。しかも、人は死者たちの否認を恐れずに、そうすることができるのだ。こうして、人は滅びたものを再び滅ぼし、そして武力の残酷さに同意してしまうのである。(P.219)


ヴェーユは力の歴史を見続けた人である。ある勢力はその実力をもって他の勢力を圧倒し、やがて支配/被支配の秩序を確立するが、それもやがて新たなる力のもとに屈服する。人々は「力への意志」に衝き動かされ、歴史の一頁を飾る。何人も「力への意志」に逆らうことは出来ない。この残酷な下等神デミウルゴスの世界のなか、わたしたちの「けだかさ」はどこにあるのか。ニーチェの歴史認識を受け継いだヴェーユの行き着いた答えは、俗流ニーチェ主義にかぶれたナチスとは正反対のものだった。


敬虔さはわれわれに命じる、たとえ稀なものであるにせよ、滅亡した文明の跡を慕いその精神を銘記することに努めよ、と。(P.219)


中世地中海の太陽の如くあったラングドック文明は、「力」に関しても独自の感覚を持っていた。通常、国家秩序をもたらす支配/被支配の関係は、一方の他方にたいする暴力をともなって実現する。そこで実現されるのは権力だが、権力は権威を必要とする。前にも話した、自発的服従の契機である。中世におけるそれは、カトリック教会の権威とその信仰だった。通常はこのように、内面化されたひとつの世界観に帰属させられることにより、支配は正統性を獲得する。こうした伝統の嫡出子たる現代世界でもそれは変わらない。自由と民主主義、あるいは資本という「内面化されたひとつの世界観」に人々は衝き動かされ、その権威のもとに資源を奪い合い、支配し、服従し、脅威にさらされる。今日カトリック教会は、アングロ=サクソン文明によって周縁に追いやられた挙げ句、かつてとは逆に危殆に瀕した多様性の擁護者の役割を(とりわけ南米において)果たそうとしているが、じつに皮肉な話だ。かれらも「力への意志」の前に無力だったわけである。

ところが、異質な信仰どうしの容れ物でもあったラングドック文明にあっては、いささか事情が異なる。中世の他の例に漏れず、ラングドック地方の各都市はそれぞれ諸侯の領地だったが、それら諸侯はトゥールーズ伯の家臣だった。こう聞くと僕たちは、いかにも中世らしい典型的な身分制社会を想像するが、実態は違ったようだ。なにしろ、政治のトップであるトゥールーズ伯からして、「何事においても町全体、(中略)すなわち騎士や町民や庶民に諮」って市政を行っていたのだ。その市政が、民主的に選出された住民代表のカピトゥールの手により行われていたのはその一例である。自由な精神の持ち主であったラングドック人は、自由を愛する者すべてがそうであるように、みずからの矜恃の念を傷つけてまで他人に服従することを好まなかった。そこには秩序があり、治安が保たれていたにもかかわらず、言論においても信仰においても人々は自由であり、かつ階級は一体化していた。その支配の特色は、ヴェーユの説明によれば、騎士道に裏打ちされた住民の高度の公民的徳性により支えられた、文字通りの自発的服従だったという。

こういった「力」にたいする感覚がよほど身についていたものと見えるのは、アルビジョア十字軍戦争の真っ只中にあり、トゥールーズ伯の実力が完全に奪われた時点になっても、住民が自発的服従を表明し、トゥールーズ伯を支えようとしたことからも窺い知ることができる。『十字軍詩』において、トゥールーズ伯は戦いに敗れ、地位も財産も奪われ乞食同然の地位に陥り流浪するが、アヴィニョン自由市の住民は、トゥールーズ伯が領地をとりもどすために、みずからすすんで生命をなげだすことを約束するのだ。すでにまったくの無力の徒と化していた者に嫌々服従する義理がないことを考えると、その騎士道精神の寛大さがどれほどのものであったかが知られる。

どうして彼らはそこまでしてトゥールーズ伯にすすんで服従することができたのか。なにが彼らをしてそこまでの献身に駆り立てたのか。かれらが守ろうとしたのは何か。ヴェーユによると、それは文明の精神的価値そのものにあった。文明などという概念はまだ存在していなかったため『十字軍詩』の作者は言語化に苦慮しているようだが、その詩情は、ラングドック(=オク語の土地)において、その自由と豊かさがトゥールーズ伯の治世と渾然一体となっており、自由を愛することがトゥールーズ伯に服従することと不可分だったことを示している。


こうした精神と公民的感情の合一、そして自由と正当の領主とにたいするおなじように強烈な愛着は、十二世紀のオク語の国以外のところでは見出せなかったものである。(P.214)


現代社会において、自発的な献身ということほど不自然なものはない。現代人は公民的徳性を捨て去り、せせこましい私人にみずからを矮小化することにより、資本という名の怪物にいやいやながら献身させられ、隷従の一生を送る。それは、シエラレオネの少女売春婦からアメリカ大統領に至るまで変わらない、現代人の業病だ。

当然、ヴェーユはそのことを知っていた。誰よりも深く知っていたと言っていいだろう。彼女は、すでにナチスの手に落ちたフランスにあって、政治的指弾の脅威に晒されていた。資本に見捨てられんとしたが為に独裁者を戴き、精神文化から国民の生命に至るまで浪費的な投資の糧としてきたナチズムは、現代人の業病の急性転化した症状だった。彼らと闘ったヴェーユは、最後までこの業病にたいする服従を拒否しつづけた。そして1942年5月、マルセイユの港から出国したヴェーユは、清冽な拒絶の姿勢を貫き、一年と少し後、短い生涯を閉じる。まるでそれが必然的な運命でもあったかのように。(了)



◎参考:松岡正剛の千夜千冊『重力と恩寵』シモーヌ・ヴェイユ
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0258.html

◎参考文献1:ヴェーユの主著その1・『自由と社会的抑圧』
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◎参考文献2:ヴェーユの主著その2・『重力と恩寵』
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◎参考文献3:マルセイユの時期のヴェーユを知るための好著にして、最適の入門書
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【後記 2007.4.1】
のちにアップされたエピグラフ(~2007.4.1)は、このエントリに関連したものです。

秩序というものは、正当な権威にたいする感情によって、自分を卑下せずに服従できるような土地にしか存在しえない。それがおそらく、オク語の人たちがParage(けだかさ)とよんでいたものなのである。

(シモーヌ・ヴェイユ「一叙事詩をとおして見たある文明の苦悶」より)



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