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頽落 Verfallen について
(旧サイトからの転載)

こんばんは。

今宵は久しぶりに冷えるね。寒さは思考を鋭敏にするから僕は好きなんだけれど、猫科一般にとっては寒さは大敵だ。まあ、猫科動物の分布はあきらかに熱帯寄りの傾向があるし、猫科の王者たる猫だってエジプト出自なのだから、当然といえば当然か。ということは、寒さを克服した猫というのは化け猫の代名詞みたいなものだったりして。

でもまあ、思考そのものとの関係においてみる限り、暑さ寒さと思考との間には偶発的な関係しかなさそうだ。暑いところには暑い気候に適した思考様式が発達するし、寒いところには寒さを反映した思考様式が発達する。それぞれインド、古代地中海、アングロ=サクソンの例を見てみれば解る通りだね。ということは、寒い方が思考しやすいというのは、僕自身の嗜好の問題といったほうがよさそうだ。

さて、相変わらずの長い前口上はこのくらいにして。

この間、ガンダムマニアの頽落 Verfallen を批判してみたけれど、いちどそういうことをおっ始めてみると、自分自身の頽落 Verfallen 批判の立ち位置なんてことをも再考してみなければ気が済まなくなってきたりして、いちど整理してみようと思った次第。

ところで、気も進まないのに何故ガンダムマニアの頽落を批判してみる気になったのかというと、ひとの「日常性への頽落」というものを理解する上で、ガンダムマニアのコミュニティのケースはかなり陳腐な部類に属する例だということが第一に挙げられる。頽落 Verfallen というのは勿論ハイデガーの言葉だけれど、実際、ハイデガー読みの批評家やなんかがオタク批判をする場合、かならずといっていいほど言われるのが頽落、「ひと」 das Manだね。西部邁みたく、ニーチェに倣ってニヒリズムと言う人もいるけど、ともかくこの類の話はもうほとんど言論の定石と化しているもので、それを知らなかったら他人から読書の習慣がないと思われかねないから気をつけて。

ともあれ、ガンダムマニアのコミュニティに関して頽落批判を持ち出すというのはとても陳腐な話であって、この辺境で僕がまたそれを反復してみたところで大して意味はない。しかし、その一方で僕は、「疎外感」を動機としてガンダムマニアを批判する人(たとえば田幸和歌子)をも同時に批判している(→その1その2)。こういう人たちについて僕は、精神分析の考え方を援用した上で「<ゆりかご=世界>なニンゲン」という表現を与えたけれど、あらためて考えてみるとこれもやはり頽落への批判なわけであって、だからこそ僕は「好一対」と言ったんだ。つまるところ、どちら側のニンゲンも居酒屋談義において疎外感を味わうことに堪えられないという点において共通しているわけで、その空談を求める情熱たるやなまなかならぬものがある。「制度化された空談」に筆舌を費す田幸和歌子などはその最たる例だし、ガンダムマニアにおいても事情が一緒であることは、この話柄に関する最初のエントリーに寄せられたコメントを読めば理解できるだろう。

事ほど左様に、田幸もガンダムマニアも居酒屋談義=空談に固着する。先日の話に即して考えるならば、空談は「ゆりかご」の代理物なわけで、かれらの空談に対する情熱は、それじたい、失われた「ゆりかご」に対する情熱の存在をも意味することになる。要するに、「ゆりかご」に対する固着において両者は共通しているというわけだ。僕は<「ゆりかご」への固着>について一貫して批判的なので、ガンダムマニアをめぐるトピックにおいては互いに敵対する双方を批判することになるし、その批判は必然的にハイデガー由来の頽落 Verfallen についての思考を触発する。

何度も言っているとおり頽落 Verfallen という概念はハイデガー由来のものだけれど、かれの日常的現存在批判は当時のドイツ都市社会の時代状況に触発されて為されたものだった。第一次大戦終結後のハイパーインフレ期を乗り切ったワイマール・ドイツは、やがてアメリカに毒された(!)大衆消費社会へと移行する。戦後ワイマール社会は第一次大戦における厖大な量に及ぶドイツ人の若者の屍体を忘却して、日常の享楽にうつつを抜かすことをひとに強請する。複製技術により大量コピーとなって氾濫する音楽、映画。また、大量生産を前提に設計され、また実際そのようにつくられた商品としての食品、日常雑貨。そして、本当に価値あるものにたいする思考を抑圧、隠蔽し、空談としてのトピックスを提供することに専心する新聞やスキャンダル雑誌……。こういう都市文化は、ハイデガーのように第一次大戦によって青年期を蹂躙された世代の者にとって、どうにも我慢のならないものだった。こうした消費社会に瀰漫する何とも甘ったるくて偽善的な空気は、残酷で暴力的な外部から隔てられた子宮の内側のように感じられた。非本来的自己、即ち、本来的自己から頽落(!)したものとしての人間存在(日常的現存在)とは、具体的にはこうした状況を想定して編み出された哲学的言説装置だったわけだ。

……これだけ聞くと、ちょっと親近感を覚えてしまうよね。主語だけ替えて、現代日本についての話としてコピペして使ってみようかなどと思った人もいたりして(笑)。それは冗談としても、本当なら自分らに責任があるはずの残酷で暴力的な真実を外部に放逐し、空談という母胎の中でひたすら相互承認を求めて居酒屋的文化の街並みを彷徨うということなら、後発の僕らの方がよっぽど巧妙にやっているわけだから(→例1例2)、頽落という言葉が現代日本において想起されるのには必然性があるということになる。その意味で言うなら、ガンダムマニアをめぐるトピックが頽落をめぐる問題系を触発するというのはまさにハイデガー的な意味で必然性があるわけだし、僕らがその論理を自覚的あるいは無自覚的に反復しているということは、彼の日常的現存在分析がそれなりに見事だったということの傍証にもなるわけだ。

でも、ハイデガーの場合、ここから先がイケナイ。疎外感にたいする恐怖からひたすら空談に耽り、真実から目を逸らし続ける日常的な「ひと」のあり方を非本来的自己と云い、真実を凝視しそこに身を投じるあり方を本来的自己と云って、現存在の真実、つまり「死に向かう存在」としての人間存在についての話をはじめるあたりから、論理がきな臭い方向に流れはじめるんだ。頽落 Verfallen というのは、要するに、真実を忘却していることから頽落というわけだけれど、じゃあその真実とは何かというと、「死」だと云うんだね。で、曰く、人間存在において死に二種あり、ひとつは忘却された死、いまひとつは凝視された死。人は必ず死ぬし、死は日常におけるすべての価値を空無にするほどの破壊力がある。ならば、この究極の存在規定としての死に先駆的に直面し、つねにその息吹(良心の「呼び声 Ruf 」)を感じ続けることにより真実の生を生きるべしと、まあそういう話になっていくわけだ。この話のどこがきな臭いのか?

ハイデガーは死に先駆する生き方をせよと云う。ならば当然、死に先駆した生き方というのは何なのかという話になるよね。ハイデガーは哲学的表現に終始していて、あんまり具体的に云ってくれないから、そこは僕らが推測するしかない。するとどうなるか。死への先駆、いいかえると、「僕はいつか死ぬ存在なんだ」ということをつねに感じながら送る生活、……それって戦時の生き方ってことになりはしませんか、ということになるんだ。

「つねに戦場に身を置け」などと言われると、カッコイイと感じる人もいるかもしれないね、とくに男の子なんか。実際、ハイデガーの「死の哲学」は1930年代〜第2次大戦終結後暫くといったあたりの時代、ドイツは勿論、日本なんかでも絶大な人気があった。それも、日常的現存在の現象学的分析の部分に、ではなく、「死に先駆する生き方をせよ」というメッセージに反応する者が、とても多かったんだ。まあ、その後じっさいに死の息吹を身近に感じつつ生きる時代がやってきたので、とても時代にマッチしていたものが人気を博するのも無理はないけれども、死の哲学に憧れるバカ人は平和な世の中になっても再生産され続けている。

しかし、ここで気をつけなければならないのは、死の哲学で語られる「死」とは、じっさいの死だということ。つまり、死の哲学のいう「死」とは、平和な時代に、たとえばサラリーマン諸氏なんかが「つねに戦場に身を置く意識が」などと云々するときに想定される、比喩としての死(!)のことではない。本当の人死にのことなんだ。もちろん、ビジネスの世界に生きる諸氏の本気度を疑うつもりはないが、職場に屍体が転がっているわけではないでしょ。比喩としての死はあくまで「もののたとえ」、比喩としてそうであるに過ぎず、結局のところ、日常的現存在の営みのひとつとして片付けられることになる。つまり、言葉では「死を賭す」といっても、やはり「非本来的」なんだ。「死の哲学」を完遂するためには、そんなもので足りるわけがない、……と、徹底的な人は思い至る。

でも、戦時中ならともかく、平和な時代、やることなすことにいちいち「死の息吹を感じる」なんてこと、そうそうあるわけがないよね。じゃあ、どうするか。ひたすら死を渇望するしかないんだ。そこでまた道はふたつに分かれる。ひとつは、いつまでも訪れない死を「片想い」し続けることに決め、頽落し腐った人間的日常に関しては「眼と耳を閉じ口をつぐんで孤独に暮らす」(『攻殻機動隊S.A.C.』あるいは『ライ麦畑でつかまえて』)道、つまり、シモーヌ・ヴェイユ的な「祈念」の道。いまひとつは、もっと単純に、みずから動いて日常を死の息吹でいっぱいにする道、テロリストの道だ。

こういう二者択一を迫られたとき、僕がどちらを好むかなんてこと、言うまでもないよね?いままで散々、シモーヌ・ヴェイユに言及してきた身なわけだし、だいいち、それ以前の問題だし。といっても、世の中、僕の同伴者はどうやら少なそうだ。なぜなら、「祈念」の道というのはとても峻厳で、ものすごい孤独で苦労させられ、時として壮絶な生き方を余儀なくされるというのに、何の得にもならない。せいぜい倫理的な自負くらいしか残らない。まあ、好むのとじっさいに選択するのとはまた別の話だから、情けない話、僕自身こっちの道を選び続けられるかどうか自信がない。それどころか、ちゃんと選びきれているかどうかすら確かなことは……、という状況だ。だから、大概の人は二者択一を迫られたという自覚すらないまま、自動的に他方の道を選ぶ。つまり、究極的なところでは自爆テロを理念型とする、テロリズム。

実際、ハイデガーも一種のテロリズムに加担したんだ。いうまでもなく、国民社会主義ドイツ労働者党、通称ナチスの革命思想のことだね。ナチスといっても、通常よく知られているユダヤ人虐殺なんかをやったナチスは国防軍と結託した官僚組織たる親衛隊(SS)の方で、ハイデガーが入れあげたのは突撃隊(SA)、つまり、一種の民衆革命思想として興り、ドイツじゅうの都市にあった学生や若者のサークル(ワンダーフォーゲルやら決闘やらを活動内容とする、ドイツ青年運動というやつ)をアメーバ的に飲み込んでやがてドイツ全土を席巻するまでに組織化した、急進的な勢力だ。

この突撃隊(SA)はレームという男が中心となり、民衆中心の永久革命思想としてのナチズムを信奉した者によって構成されたものだけれど、ナチスの政権掌握に伴って、SSやヒトラーにより難癖を付けられ、潰されてしまった。ハイデガーは死ぬまでレーム粛正の過誤を批判し続けていたんだけど、この批判がまたきなくさい。というのも、彼の批判したヒトラーやSSというのは要するにスターリニズム的な官僚主義であって、この国家官僚システムの構築を「革命からの堕落」だと批判しているわけだから、じゃあ本当の革命とは何だという話になる。それは当然レームの永久革命思想なわけで、言ってみればスターリニズムに対するトロツキズムにあたるものだ。勿論、トロツキズムは後の新左翼の母胎であり、極左主義の源流。東洋にはマオイズム(毛沢東主義)というのがあって、こちらはポル・ポト派やセンデロ・ルミノソなどを信奉者とする武装ゲリラの代表的思想であり、やはりスターリニズムを批判している。要するに、スターリンの国家的暴力を批判する者はセクト集団による非国家的暴力に転じただけなわけで、そこにはいわば「大粛正か文化大革命か」という究極の選択が横たわっている。別に「リヴァイアサンかベヒモスか」と言い換えてもいいけど、ともかくハイデガーは後者を選択したってわけ。

何でこんなことになるのか?それは、ここまで話について来ることができている奇特な人(苦笑)にはわかる通り、ハイデガーの選択がもたらした必然的な帰結だ。暴力=死の他所への押しつけをやめ、暴力=死をあるべき場所(!)にひきもどす結果、暴力=死はわれわれの日常そのものに在処を見出す。その結果が、アナーキックな暴力革命だったというわけ。

さて、ハイデガーの選択は、彼自身の行動の帰結としてはともかく、思想的にはまったくシャレになっていない。じっさい、世界は彼の過誤をなぞるように展開し、世界中の人々は日常身近に死の息吹を感じ、死へと先駆して英雄的な自爆を遂げるようになった。ハイデガーは20世紀最大の哲学者といわれているけれど、それは学者として見事だということもあるが、主な意味は別にある。つまりハイデガーは、見事な手つきによる人間分析とナチス加担をペアにすることによって「明らかに過誤を犯しているが、だれもが過たずにはいられない過誤」の象徴となり、しかもその過誤からの出口をそれはそれは見事な手つきで塞いでしまったんだ。

僕らにはもう、日常への頽落、即ち疎外感におびえつつ空談を繰り返すという「むなしい生き方」に甘んじるか、それを批判し「死へと先駆」して平穏な日常を失うか、どちらかの道しか残されていない。尤も、後者はさらに二つの道に別れるが、実質ひととおりのようなものだ。

暴力に着目して言い換えるなら、頽落したままでいるなら商品文化と官僚主義をペアとする「システム化された暴力=死」を受け入れなければならなくなり、スターリンを批判しきれなくなる。方法がマズかったと批判はできるが、そもそも悪いことだと非難することができなくなるんだ。だって、道徳的には同じことをしているんだから。じゃあ、やはり頽落を批判しようということになるよね。となると、国家への暴力=死の一元的集中をやめ、セクト単位で個別に所有された暴力=死と日常的に付き合っていかなければならないということになる。(因みに、ホッブズの言葉でいうと、前者はリヴァイアサン、後者はベヒモスにあたる。)要するに、文化大革命への道一直線だ。……非暴力ですか?なら、「眼と耳を閉じ口をつぐんで孤独に暮らせ」。他に選択肢はない。

……ね、シャレになってないでしょ?

通常は、というか、哲学的には、これでもう出口はない。リヴァイアサンが嫌ならベヒモスで、ベヒモスが嫌ならリヴァイアサン。んで、ホッブズなんかは、どっちも怖ろしい怪物だが、ベヒモスは手に負えないからリヴァイアサンをぶつけて二頭で闘わせ、僕たちはかれらがケンカしている隙にだましだまし生きるしかないということで国家論を展開しているけど、ハイデガー後の僕らもこういう選択肢しかないということを突きつけられつつある。僕らはもう、この頽落した日常を、シニカルに距離を置いて見つつヒューモラスに受け入れてゆくしかない、と。

ここでようやっとガンダムマニアのトピックに戻っていうなら、ガンダムマニアなら田幸和歌子のような「みっともない」者が他者として存在することを、田幸的な反ガンダムマニアなら”濃い”ガンダム話に盛り上がる者が他者として存在することを事実として受け入れ、疎外感を飼い慣らしつつなんとか相互理解の道を場当たり的ながら見つけてゆくほかはない。それをつねに十全にやってゆくには、さっきちらっと言った「祈念」の道を歩むほかないんだけど、まあ、これはあまり期待できない。世の中、孤独に耐性のない人間がほとんどだからね。なので、これからもガンダムマニアと反ガンダムマニアは、お互い頽落に無自覚なまま空談を浪費し続け、その必然的帰結として、これからもずっといがみ合ってゆくことでしょう。……僕がずっと「気が進まない」のは、それが理由。そして、その割りに筆が進んだのは、多分今日書いたようなことが理由ってところだろうね。

いがみあうのはしょうがないから、センスを磨くなり勉強するなりなんなりして、せめてもうちょっとみっともなくないいがみあい方をしてくれと、それだけ。本当、ウンザリなんだからさ。みんなもうちょっとエレガントに頽落しましょうよ。

ということで、今宵は長話が過ぎたね。いくら長話が平気だからといって、いいかげんにしておかないと読者置き去りにしっぱなしだし。……別にいいか、今更(苦笑)。

じゃ、おやすみ。

【追記:2007.03.11】
 文中の「暴力」の語を、読解上の便宜を考え、「暴力=死」に改めました。これが表現として正確かどうかは読者各々のご判断に委ねますが、少なくともこちらの方が「死」の概念とのつながりがわかりやすいでしょう。

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  • シモーヌ・ヴェーユ「一叙事詩をとおして見たある文明の苦悶」読了
  •  →「秩序というものは〜」のエピグラフは、これとの関連でアップした。

  • 「根こぎ」にされたリベラリズム ------ ロールズと井上達夫の狭間で
  •  →一見わかりにくいが、こう見えてもメインはヴェイユ。

  • スキン変更に伴いエピグラフ追加:『重力と恩寵』より
  • →「安定だけが〜」のエピグラフについて。僕はヴェイユをほとんど社会/政治思想として読んでいる。

    ◎ヴェイユの著作
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