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藤島康介の詩学|第4項・ピリオド
評価:
藤島 康介
講談社
¥ 651
(2004-08)
(増補・再公開分)



《藤島康介の詩学・目次》


 承前。

 藤島康介の作風の自立に『逮捕』の血が関わっているということに関連して、ここまで、『逮捕』の血は、どのようにその後の藤島作品に流れているのか、ということについて概観してきたが、ふたつ例を挙げたことによって、ようやく仮説に辿り着くことができそうだ。

 後の作品(=1992以降の『ああっ女神さまっ』)に受け継がれた「『逮捕』の血」とは、一体いかなるものなのか?

 答えは、倫理観である。

 中嶋大丸のライダーとしての感性からは、ロジックに還元されきることのない身体感覚が溢れていた。小早川美幸の技術屋魂は、メカの生涯にたいし、技術というインターフェースを介してコンタクトする繊細と慈しみの流儀を示していた。それらは、各々が支流として『ああっ女神さまっ』というテクストの中に流れ込み、やがてそれらは撚り合わされ、その作品世界のなかで大きな奔流となってゆく。以後、『逮捕しちゃうぞ』は、後の『ああっ女神さまっ』の作品形成のなかで、その美意識(aesthetics)=倫理観(ethics)13)の諸々の流れの源流として機能しつづけることになるのだ。それが、単行本背表紙の色が赤から青に変わった時期に訪れた最大の変化である。

 1992年に『逮捕しちゃうぞ』が完結するまでは、『ああっ女神さまっ』は『逮捕しちゃうぞ』と同時進行だった。同時進行ということは、両方とも作品形成途上だったということでもある。

 テクストというものは、それが書かれている途中である間は統一した意味が決定されないものだ。なぜなら、終了しないうちは、のちにどのような経過を取るかに応じて、どのようにでもその相貌が変化し得る状態にあるのだから。ちょうど、ピリオド=読点が打たれるまでは、文の意味が決定されないのと一緒のことである。

 『逮捕しちゃうぞ』連載中の時点では、それは未だ不定形な状態で、それまでに描かれた一話一話は完結しているものの、全体としては未だ一貫した世界観を持つには至っていない状態にあった。少し遅れて月刊アフタヌーン誌上にて始まった『ああっ女神さまっ』と一緒で、不定形な状態だったのだ。文はピリオドを打たれてはじめて有意味な文となるが、その時点では、作者自身作品にピリオドを打つことができておらず、有意味な要素を見いだすべき解釈の視点が定まっていない状態だったのだ。つまりそのとき、藤島康介の創作活動は地図のない手探り状態だったというわけで、それゆえ『ああっ女神さまっ』も不定形な状態であったのだ。14)

 しかし、1992年春、『逮捕しちゃうぞ』は完結する。

 この漫画は一回一回エピソードが完結する連作短篇方式の漫画であり、その意味ではストーリー漫画としての性格は希薄である。しかし、この作品がとにもかくにも完結することによって、それまでとは状況が一変する。

 つまり、「法」の誕生という、最大の出来事が訪れるのだ。

 それまで『逮捕』の作品世界は、「つぎの話がある」という可塑性によって不定形性を保たれていた。しかし、連載完結が決定的な契機となる。つまり、完結によって作品はひとまとまりのテクストとなり、有意味なものとして作者および読者の前に開示される。それまではただ不定形なテクストだったものが、かたちをもった作品として扱い得るものとして作者の前に、またわれわれの前に現れることになるのだ。

 そして、そのようにして成立した有意味な全体は、解釈の基準としてのちの創作の標準となる。それが規範の出現、「法」の誕生である。判断の審級、つまり基準として働き得るものを得ることによって、あとに続く『ああっ女神さまっ』も不定形な状態を脱し、骨格のある作品形成をすることが可能になった。つまりこのとき、藤島世界において、作品の基本構造が見いだされたのだ。骨格を得るということは自己の可能性を限定するということでもあり、その分作風は落ち着くことになるが、その代わりに作品は構造を獲得するのだ。

 こうして、『ああっ女神さまっ』は、『逮捕しちゃうぞ』を規範として構造15)を見出し、そこに還元しきれず不定形に自己展開を続けるキャラクターたちの生命力のうねり16)と相乗効果を起こして、加速度的に作品としての深みを増してゆく。以後、『ああっ女神さまっ』は、しっかりとした足場を持った名作へと成長してゆくことになる。

 このような経緯で、『逮捕しちゃうぞ』は、『ああっ女神さまっ』にとって、作品を構造化する大いなる他者 l'Autre 17)として機能することになった。そして、それこそが『ああっ女神さまっ』という作品の成熟を促したのである。

 すべては、『逮捕しちゃうぞ』にピリオドが打たれたことによって可能となったことである。では、どのようにして『逮捕しちゃうぞ』にピリオドが打たれたのだろうか。

 作品に ピリオドを打つ作業を、藤島康介は、きれいに潔く成し遂げている。『逮捕しちゃうぞ』連載の締めくくりにおいて、藤島康介は、その倫理観の諸支流をある象徴的モチーフに仮託してきっちりまとめあげることに成功した。そして、それこそが藤島世界の貨幣として、さらに広がりを見せる藤島作品の世界観の秩序の起源となったのである。


 では、その象徴的モチーフとは何か?

 それは、『逮捕しちゃうぞ』作品世界の最重要登場キャラクター、トゥデイである。


第5項「トゥデイ」につづく

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13) aestheticsとethicsの単語の起源が共通しているということは、比較的よく知られていることだ。古代ギリシャでは両者の区別はなく、一体のものだったのである。
14) これは世に「若々しい野放図な魅力」と言われる特徴でもあり、不定形ゆえの荒々しいエネルギーの湧出が作品にスリルとスピード感を与えるもので、ひとによってはこちらの方が面白いとする場合もある。しかしこれはカオスである。それはあくまで一時的な状態であり、またそうあるべきものである。さもなくばその野放図なエネルギーは作家の将来を易々と奪ってしまうだろう。
15)または、象徴的なもの le symbolique。象徴的なものの次元はひとの無意識の構造であり、言語によって構造化され、精神に秩序を与える働きをする。象徴界ともいう。フランスの精神分析家、ジャック・ラカンの言葉。
16) あえていうと、それは精神における想像的なものl'imaginaireの領域に関わる。同一化の範域である。先の象徴界が精神の構造化の契機であるのに対し、想像界は主体がひとつの対象と同一化すること、つまり、ひとが“ひとつのもの”として存在しはじめる契機である。想像界ともいう。先の象徴界、および現実界le reelとともに、精神の3つの界域を為す。現実界とは精神の象徴化により排除されたものの領域で、われわれにはそれを認識することができない。因みに、現実界は日常語における「現実」とはニュアンスが異なるので注意が必要。けだし、日常使う意味での「現実」という語は事実上、象徴界と想像界との共働によって構成された一種のフィクションをさすものであり、認識の外にある現実(=現実界)を意味するものではない。
17) ジャック・ラカンの言葉。象徴界を支える働きをするもので、Aという記号であらわされる。主体にとって絶対的な権威をもつとされる。しかしのちに、それは完全なものとしては存在しないとかんがえられるようになり、Aに斜線が引かれるようになった。



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