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藤島康介の詩学|Intermission・『ドラえもん』との関係
評価:
藤子・F・不二雄
小学館
¥ 410
(1974-08)
(新章)



《藤島康介の詩学・目次》



 承前。(ただし、内容的には立ち止まって一休み。)

 ところで、このようなセンスは、藤島作品を『ドラえもん』等と比較したとき際立って違うところである。『ドラえもん』は登場人物たちが「ひみつ道具」という神的な贈与物をめぐって取り結ぶ社会的関係を、おもにのび太、ジャイアン、しずか、スネ夫といった面々による共時的パターンにおいてシニカルに描写することにおいて特徴的な作品である。そして、そのかぎりでまちがいなく重要な古典的作品である。しかし、同時にこの作品は、他者への賭に出られない者の実存的脆弱さを孕んだ作品でもある。

 この脆弱さはのび太たちを、(土着的とも言うべき?)ナイーブな受益者に固定する。『ドラえもん』において、のび太はただひたすら一方的な受益者であると同時に、一人ではなにもできない弱者である。かれはドラえもんを通じて未来の道具を使用する立場にあるが、その弱さゆえ、かれは媒介者=ドラえもんの彼方になにも見出そうとしないし、「賭け」をすることもない。かれらは実存的・倫理的強度から疎外されたまま、ただひみつ道具だけを欲望しつづける。たとえば、のび太はマクラーレンF1のピストンと国産ツインカムのピストンの違いなどに興味は持たないだろう。そのかわり、国産ツインカムのピストンをF1のピストンに変えてくれる「ひみつ道具」を欲しがるに違いない。

 『ドラえもん』にも他者はある。ただし、あくまでドラえもんというシャーマンを介して神的贈与物を送りつけてくれる科学=魔術的万能者として。30)のび太が科学=魔術的万能者にアクセスするとき、実存的な「賭け」はいっさい必要ない。ねだれば与えられるのだから。そして、この関係は<超越者ー媒介ー内在者>の三位一体構造として完全に固定され、科学的万能者の善意は疑われることすらない。そこには倫理的逡巡は訪れず、ただひたすら、のび太たちが欲望にまかせて「ひみつ道具」を弄ぶ顛末がシニカルに描写されてゆく。この構造は先にも触れた、高度成長期からバブルの時代にかけての高度消費社会において特徴的な消費社会的シニシズム31)に通じるものであり、それに対する批判的視点はあくまで風刺の彼方、潜在的なものに留まる。

 しかし、それで良かったのかもしれない。

 『ドラえもん』という作品は、のび太をはじめとする倫理的頽落者たちのありさまを、判断を手控え、それこそ「出来の悪い子ほどかわいい」の境地で、ただひたすら描写をし続けた作品である。そこに描かれるのは、実は、夢でも希望でもない。そこには「翼」も「未来」への意志もなく、あるのは欲望とその末路だけである。要するに、『ドラえもん』は倫理的・実践的価値を探求したり、人々の行動や関係に美を見出す試みとしてあるものではないのだ。而してその実態は、エスプリの効いた社会風刺漫画であった。風刺なのだから、キャラクターの成長なんて描いたら野暮になってしまう。つまり、こういう作品において頽落的弱者がそのままシニカルに描写されるのは当然だし、それはただ描写であることに徹することで価値を持つものである。ゆえに、『ドラえもん』は、読者の側から積極果敢な「読み」を試みることをもって、あるいは批判的に乗り越えられることをもって、ようやくその役割を果たすのだ。いいかえると、実存的な「賭け」は読者の側に信頼され委ねられているのである。ところが、実際には、作品それ自体により求められた批判者は結局ほとんど登場しなかった。のび太の如く頽落的弱者に甘んじることを「夢がある」などと言うような輩ばかりであった。32)

 江川達也が『まじかる☆タルるートくん』を描いたのはそういう問題意識から出たものであった。しかし、彼自身はそこから反感以上の何かを見出すことはできなかったようである。じっさい、江川は『まじかる☆タルるートくん』による試みを失敗と断定したし、じじつ同作は何ら革命的力量を発揮することなく、凡百の傑作の one of them として名を連ねるに留まった。江川が『まじかる☆タルるートくん』において為そうとした試みをかりに「タルるート革命」と呼ぶならば、史上あらゆる急進主義的試みと同様、革命は失敗したのである33)

 但し、江川によって丸投げにされた問題提起は、その後、師匠よりずっとマジメで慎重な高弟・藤島康介により受け継がれ、漸進的に探求されてゆくこととなる。その道のりは実際、師の示した道から離れた独自の歩みとなったが、かえってそのためか、探究の果てに少なくとも一定の結論を見出した。そして藤島はそのかぎりにおいて確かに師匠を超えたのだ。なぜなら、彼の「女神の発見」に比するような美的・倫理的達成は、読者に委ねた藤子はもちろん、その批判的継承者たる江川においても見られないものであった。『ああっ女神さまっ』が『オバケのQ太郎』の影響を蒙っているということがあさりよしとおによって指摘されている34) ように、藤島康介に対する藤子不二雄の影響は明白であり、かつその差異も決定的である。それは、彼らの間で世代間のキャッチボールが(江川の場合と違って)幸福なかたちで成立したことを物語っている。投げられたボールをきちんと受けた以上、少なくとも藤島康介は藤子不二雄の「良き読者」だったと言っていいのではないだろうか。



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30) いいかえると、『ドラえもん』においては、他者が自己の語りの内部に還元されてしまっている。そこでは、科学=魔術的万能者は、あくまでドラえもん各話の共時的パターンを構成する限りにおいてのみ、つまり「ひみつ道具」を実現する力として、その限りにおいてのみ存在する。また、『ドラえもん』は時間の経過しない、無時間的な物語なので、未来=他者への「賭け」が成立する余地は元々なく、他者はただ超然と彼岸にあるのみである。その意味で、『ドラえもん』は二元論的である。
31) 消費社会的シニシズムについては、大澤真幸をはじめとする理論社会学者によってつまびらかにされている。たとえば前掲『戦後の思想空間』など。
32) その意味では、江川達也的問題意識において本来批判されるべきは藤子・F・不二雄ではなく、ナイーブな『ドラえもん』読者の方ではなかったか。もちろん、実存的脆弱さという意味では藤本氏を批判対象とすることも可能であり、じっさいそういう試みも存在するけれども、それはさしあたってはこの文脈と関係のない話である。僕自身は、のび太に象徴される実存的脆弱さはチャーリーブラウン的な「永遠の敗者」の系譜で考えれば普通に評価できると思っているし、たとえば『ドラえもん』が、かの古典名作『PEANUTS』に引けをとらない点があるとするならば、それは「ひみつ道具」への欲望が招来するパニック・フィーバーのシニシズムにあると思っている。江川の云いたいことも理解できるが、ああいうことを言いたいのなら批判対象を区別すべきであった。作者があくどいのではない。偉大な存在に対して崇拝か全否定しかできない読者がだらしないのである。尚、江川の『ドラえもん』批判についてはwikipediaの記事を参照のこと。
33)何時の世も、急進主義はその手法において不適切なもので、たいていは逆説的に、彼らが「堕落」と呼ぶ状態を帰結するか、歯止めのないテロリズムに走るかしてしまう。レーニン率いるロシアのボリシェヴィキたちの革命は何を帰結したか。また、毛沢東の農村革命は中国人民に何をもたらしただろうか。
34)『ああっ女神さまっ COLORS』所収の、「8ページでわかる『ああっ女神さまっ』」にて、ニンジャマスター覗見によるボケの体裁をもって指摘されている。



◎参考記事
  • ド・ラ・カルト/山口 洋典のBlog
    http://catalyst.blog.drecom.jp/archive/387

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    ◎今宵の参考書:マルセル・モース(1872〜1950)の最も影響力を持った論文「贈与論」を含む論文集。贈与という切り口で『ドラえもん』読解に挑むというのも面白そうだし、そういうやり方こそ大人の愉しみ方というものだろう。
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    「藤島康介の詩学」 | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
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