Cause we are the ...

La ricerca della morale che non dipende da una cosa della trascendenza...
<< November 2006 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
 
SPONSORED LINKS
RECENT COMMENT
  • そして少佐はネットの海に消えた…|必然に抗う主体の往還二廻向
    よはん (09/09)
  • そして少佐はネットの海に消えた…|必然に抗う主体の往還二廻向
    よはん (09/09)
  • そして少佐はネットの海に消えた…|必然に抗う主体の往還二廻向
    よはん (09/09)
  • そして少佐はネットの海に消えた…|必然に抗う主体の往還二廻向
    宇根 康裕 (09/07)
  • 人は低きに流れ、そしてベヒモスに飲まれる?
    よはん (08/25)
  • 人は低きに流れ、そしてベヒモスに飲まれる?
    宇根 康裕 (08/20)
  • 人は低きに流れ、そしてベヒモスに飲まれる?
    宇根 康裕 (07/12)
  • 人は低きに流れ、そしてベヒモスに飲まれる?
    よはん (06/19)
  • 人は低きに流れ、そしてベヒモスに飲まれる?
    よはん (06/19)
  • 相変わらずの田幸和歌子
    よはん (05/28)
epigraph
  • 「低さ」と名づけられているものはすべて、重力による現象だ。(S.Weil)
  • 水は低きに流れ、人の心もまた、低きに流れる。(H.Kuze)
  • ハハハッ、アステロイドベルトまで行った人間が戻ってくるっていうのはな、人間がまだ地球の重力に引かれて飛べないって証拠だろう?(H.Karn)
Hanabi
iPod
logpi
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | | - | - | pookmark | |
離脱と発言再び
(旧サイトから転載)

紹介が遅くなりましたが、先のエントリー「教育バウチャー構想への批判について」に対し、言及相手の濱口桂一郎教授がエントリーを起こしてくださいました。有り難いことです。

◎離脱と発言再び/EU労働法政策雑記帳
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_1a4b.html

コメント欄でも議論相手に付き合っていただきました。(なんて、過去形で言ってしまっていいのだろうか?)特に新たな発見が得られたとかいう種類のものではありませんが、そこそこおもしろい議論になったと思います。

ところで、そこで話題に上ったアルバート・O・ハーシュマンの離脱と発言exit-voice理論(一般的には「退出と抗議理論」か)について、ご存じない方も相当数あると思います。(だいいち、濱口先生みたいな研究者や僕みたいな好事家でもなければ、ハーシュマン自体知らない人が多いでしょう。)そこで、参考になりそうなリンクを張っておきます。

◎東ドイツの崩壊とハーシュマン理論/山川雄巳 ・立命館法学一九九六年一号(二四五号)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/96-1/yamakawa.htm

ハーシュマンは、従来の経済学が「離脱exit」、政治学が「発言voice」ばかりを採り上げ、両者の密接な関係に着目していないことを批判し、離脱と発言を同時に扱う政治経済学を構築すべきだと訴えた人です。例の教育バウチャー構想批判関連の話で出てきたフリードマン批判は、かれの教育バウチャー構想が、まさに経済学者がexitしか考慮に入れていない典型例だったからなわけですね。もちろんそれは、自由競争市場という理念型にもとづいて理論構築する上でどうしてもvoiceが捨象されてしまうことに基づく仕方のないことであり、いわば新古典派経済学の骨法そのものにあらかじめ含まれる限界です。そういうことでいうならば、発言voiceばかりに目が向きがちな政治学に対してもそれなりに批判のまなざしが向いているわけで、その傍証として、離脱カードなき抵抗運動だったハンガリー動乱(1956)やプラハの春(1968)がうまくいかなかったことを、東ドイツ分析の論文において指摘しています(「退出、告発、ドイツ民主共和国の運命Exit,Voice,and the Fate of the German Democratic Republic」)。

要するに、完全情報という前提に立つ自由競争市場モデルでは、各組織の運営は自動的にうまくいくものと想定し、運営において起こる問題に関しては、思考経済の要請によりわざと「忘れる」わけです。政治学における離脱や選好の問題も同様で、それが社会科学というものなのですから、そのこと自体は仕方のないことです。(この辺りの事情に関しては、やはりマックス・ヴェーバーのいわゆる客観性論文〔後で紹介〕は必読でしょう。)しかし、こうした縦割り構造がじっさいに見えなくしているものも多く、ハーシュマンはそれを明るみに出すべきだとしたわけです。

そういう意味でいうならば、ハーシュマンの指摘はフリードマンらの立場と正面衝突するわけではなく、彼らの見落としてきたものを補う関係になるわけです。カント的な意味での「批判」だと言ってもいいでしょう。ただ、濱口先生は経済学者に対して余程特別な感情がおありなのか、フリードマンらの立場そのものを悪辣だと糾弾される傾向があり、それに関しては懸念なしとしません。

ただまあ、僕も別にフリードマンを弁護しなければならない立場にあるわけではありませんし、この程度のことでフリードマンの権威がどうこうなるという話でもないので、それはそれで別にいいかなという気もします。(それに、フリードマンがちょっと調子こいた〔!〕ところがあるのは確かですからね。)だいいち、僕は僕でフリードマンの議論の一面性を批判しているわけですからね。

ともあれ、有益な機会をいただきました。濱口先生には誠心より御礼申し上げます。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎本文で触れた本その1:「退出、告発、ドイツ民主共和国の運命Exit,Voice,and the Fate of the German Democratic Republic」を含む論文集
方法としての自己破壊―“現実的可能性”を求めて
方法としての自己破壊―“現実的可能性”を求めてアルバート・O. ハーシュマン Albert O. Hirschman 田中 秀夫

法政大学出版局 2004-01
売り上げランキング : 258779


Amazonで詳しく見る
by G-Tools


◎本文で触れた本その2:マックス・ヴェーバーのいわゆる客観性論文
社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」
社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」マックス ヴェーバー Max Weber 富永 祐治

岩波書店 1998-08
売り上げランキング : 118913

おすすめ平均 star
star評価できない
star白眉
starわかってる人にはわかるけど、わかってない人にはやっぱりわからない。

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎追記(2006.12.23):参考エントリー
  • トポス盲
  • トポス盲 その2
  • トラックバックについて


  • L'histoire et Étude|歴史・社会 | 21:30 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
    教育バウチャー構想への批判について
    (旧サイトから転載)

    政策大学院大学の濱口桂一郎教授が、ご自身のブログにて、安倍政権により蒸し返されようとしている教育バウチャー構想を批判されています。教育バウチャー構想は、先日亡くなったミルトン・フリードマンが提唱したものです。

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_3c8e.html

    教育バウチャー構想とは要するに授業料クーポン制度のことで、国や自治体が直接義務教育の授業料を負担することに代えて授業料クーポンを発行し、親はそれを使って子供を通わせる学校を民間から自由に選べるようになるというもの。エントリーのメインになっているのはハーシュマンからの引用で、フリードマンの議論があまりにも経済学的偏見に囚われていると批判した一節ですね。つまり、フリードマンは学校からの「離脱」の自由を過度に強調する反面、言論を厄介で迂遠なものと嫌いすぎているという、定番の批判です。

    まあ、ハーシュマンの強調する言論の重要性はわかるのですが、その言論への期待ぶりは僕には理想論に過ぎると感じられる面もあります。言論において相手に理解してもらえるという期待が大きすぎるきらいがあるのもさることながら、「迂遠」という指摘の切実さについて配慮が不足している気もします。

    とりわけ学校の場合、特定の親子が学校に対する自らの考え方を民主的プロセスを通じて反映させようとしても、反映される前に子供が学校を卒業してしまいますので、間に合わないということは留意されるべきでしょう。子供が卒業した後になってから何かが変わっても、その親子からすれば完全に手遅れなわけです。そういう意味でいうならば、政治的経路を通じた意見表明のプロセスは確かに迂遠に過ぎるというべきです。そのとき、学校を「移る」ということは、生徒数の変動として明確に数値化されますし、学校の収入にも直結しますから、直接発言だけをするよりも意見表明の手段としてより強力な手段となりえるわけです。その場合、従来の制度とバウチャー構想と、当事者がどちらに魅力を感じるかはほとんど明白であるような気がします。

    とはいえ、教育バウチャー構想も所詮は極論であるのも事実です。じっさいにこれをやろうとしても、受け皿となるべき民間教育機関が整備しきれないでしょうし、選ぼうにも似たような学校ばかりだったら選ぶメリットもあまりないわけです。まして日本はアメリカと違い、千日王国ユートピア実験共同体の伝統みたいなものはありませんから、学校の多様性は最初からあまり期待できません。その場合、現にある学校の改革をどうするかという論点に結局のところは回帰するわけで、それを考えると教育バウチャー構想というのは、いま現在問題となっている教育問題について(少なくとも中短期的には)何ら実効的な解決策をもたらすものではないようにも思えます。自由競争は、経済主体に対し生産の拡大と効率化を煽る要因にはなりますが、かといって多系発生を導く積極的動因になるわけではありません。この点、フリードマンの論理はあまりに楽観的すぎるというべきでしょう。ハーシュマンの議論の力点も実はそういった部分にこそあるわけで、この意味においては僕も彼の議論に概ね同意することができます。

    濱口教授ご自身の見解に関しては、資料が少ないのでノーコメントということにしておきます。


    ◎参考:「市場原理主義」が日本で根づかないもう一つの理由/PRESIDENT Online
    http://www.president.co.jp/pre/20050704/003.html



    ◎採り上げられた本
    離脱・発言・忠誠―企業・組織・国家における衰退への反応離脱・発言・忠誠―企業・組織・国家における衰退への反応
    A.O. ハーシュマン Albert O. Hirschman 矢野 修一

    ミネルヴァ書房 2005-05
    売り上げランキング : 73604

    Amazonで詳しく見る
    by G-Tools


    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    ◎追記(2006.12.23);このエントリーに関連するその後のエントリー
  • 離脱と発言再び


  • L'histoire et Étude|歴史・社会 | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
    仏紙リベラシオン、廃刊の危機
    左翼系の新聞として世界的権威をもつ名門新聞、リベラシオンが廃刊の危機に直面している。

    ◎サルトルら設立の名門仏紙リベラシオン、廃刊寸前の危機 - 英国
    【ロンドン/英国 21日 AFP】左翼系新聞「リベラシオン(Liberation)が倒産の危機に直面している。リベラシオンは、1973年にジャンポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)など毛沢東主義(Maoists)の知識人たちが立ち上げた新聞。近年になってフリーペーパーやインターネットの普及により打撃を受け発行部数が減少したことが原因で、極度の経営不振に陥っていた。倒産の危機を回避するため、昨年2005年12月には自社ウェッブサイトの改善や一連の経費削減、従業員56人の人員削減などを行ったが、今年2006年には1300万ユーロ(約19億6000万円)まで増大した赤字を解消することはできなかった。
    http://www.afpbb.com/article/1111089

    左翼系新聞といえば日本では朝日新聞などが連想されるところかもしれないが、いまやほとんど「批判のたたき台媒体」と化している同紙を知的権威という意味でリベラシオンと比肩するなどジョークにしかならないことだろう。どちらかといえば、岩波書店『世界』のもつ、日本の左翼系論壇におけるいまだ根強い権威と比較してみた方が解りやすい。じっさい、リベラシオンの権威は相当なもので、左翼知識人の世界では、リベラシオン寄稿者ということ自体がひとつのステイタスになっているほどだ。日本人寄稿者では大江健三郎や加藤周一などがいる。尤も、ステイタスがあるからといって内容が傾聴に値するとはかぎらないというのは、ベンツやセルシオに乗っているからといって立派な人物とはかぎらないというのと一緒のこと。それにしても、同紙の存在が、世界における左翼思潮の水準を支える大きな支柱だったことは事実である。

    何といっても、かのサルトルがつくった新聞なのだ。ジャン=ポール・サルトルといえば、実存主義哲学者にして小説家として日本でも有名だが、フランスにおいてはアンガージュマン(知識人の政治的参画)の哲学者としてスーパースターに等しい存在だった。スターというものは、好かれることに関してはもちろんのこと、嫌われ批判させることに関してもその影響力が絶大であることを見せつけてくれるものだが、サルトルの場合、その毀誉褒貶の見取り図を描くことによって、ほぼ戦後フランス思想の全体像が理解できてしまう。

    まず、反サルトルの立場で論陣を形成したところでは、保守派と構造主義がある。保守派はかれのいうアンガジェ(参画)がマルクス主義(=スターリニズム)への加担とイコールになっていることを批判した。また、構造主義者はアンガジェの論理の背後にヘーゲル的歴史主義があることを指摘し、そこに潜む(スターリニズムにつながる)暴力性を批判することによって名を上げた。はじめのうちは構造主義者もサルトルの周囲を取り巻く毛沢東主義者のいち陣営だったのだが、のちに左翼的言論全体の退潮とともに保守に転向(ヌーヴォー・フィロゾーフと呼ばれる)してしまった。つまり、結局二つの流れは合流してしまった。

    一方、フランスでは全然影響力がないものの、アメリカや日本ではかなり流行したドゥルーズ等のポスト構造主義哲学の場合はちょっと複雑だ。かれらは、目の前の状況にたいする主体的責任という視座に関してはサルトルを引き継ぎ、歴史主義批判に関しては構造主義を引き継ぐことによって、新たなアンガジェの論理を再構築しようとした。「アンガージュマン=マルクス主義への参加」という通俗的理解は根強いものがあって、サルトルの哲学的認識の威力をよく知っていた若きドゥルーズらは、なんとかアンガージュマンからマルクス主義を引き離し、その哲学のもつ本来の威力を取り戻そうとした。いいかえると、ドゥルーズらは、スターリニズムに呪われたアンガージュマンの概念を、構造的認識というアイテムを使って解呪しようとしたわけだ。だが、結局あまりうまくいっていない。

    そして今日、サルトルによるアンガージュマンの活きた遺産ともいうべきリベラシオンは、インターネットやフリーペーパーに圧されるかたちで言論の世界から退場しようとしている。このことを、マルクス主義崩壊後の左翼思潮そのものの離散による当然の結果と片付けるのはたやすい。しかし、彼らに左翼を代表させることが、左右交えた言論のクオリティーを保証する機能を果たしていたことも事実なのだ。敵が弱くなれば試合から緊張感が失われ味方も堕落するというのはスポーツなどの世界で間々見られる現象だが、そういう意味で保守の言論が弛緩しているのではないかという指摘は保守陣営の内側でもたびたび為されてきた。そして現在、インターネットが新たなメディアを構築する過程において、とっくに流行遅れとなった左翼思想に代わり、「ネットウヨ」などと称される「にわか右翼」が流行(!)しているが、かれらの言葉に何ほどのクオリティーを期待できるだろう。

    僕自身はけっして彼の政治的決断を肯定することはできないが、サルトルのアンガージュマンが思想的言論全般において果たした公的役割を否定することはできない。サルトルの存在は、われわれが東西冷戦構造が存在していた時代の言論に触れる際、いまなお他に代え難い羅針盤の役割を果たしている。一方、羅針盤のない現在の言論はどうか。新しい技術により言説の物量そのものは著しく増大しているが、その内実は弛緩しきっているのである。(了)

    ◎参考1:松岡正剛の千夜千冊『方法の問題』ジャン・ポール・サルトル
    http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0860.html

    サルトルがかつてどんな存在だったかについて語られている。


    ◎参考文献1:若きドゥルーズらが魅せられたサルトル
    自我の超越 情動論粗描
    自我の超越 情動論粗描J‐P.サルトル

    人文書院 2000-04
    売り上げランキング : 284337

    おすすめ平均 star
    star自分再構築のすすめ

    Amazonで詳しく見る
    by G-Tools


    Le courant des fois|時流 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
    相次ぐ訃報 ーーーミルトン・フリードマン氏、石川賢氏、逝去。
    評価:
    石川 賢,ダイナミック・プロ
    講談社
    ¥ 1,838
    (2007-11)
    最近訃報ばかりですが、我が畏友たちのリスペクトする二人が鬼籍に入りました。
    時代は急速に移り変わっています。


    ◎「魔界転生」などの漫画家、石川賢さん死去(asahi.com)

     石川 賢さん(いしかわ・けん=漫画家、本名・賢一=けんいち)が15日、急性心不全で死去、58歳。通夜、葬儀の日取りは未定。

     69年に漫画家永井豪さんのダイナミックプロに入り、アシスタントを務めるかたわら「ゲッターロボ」(永井さんと共著)、「魔界転生」などを発表した。

    http://www.asahi.com/obituaries/update/1116/002.html



    高千穂遥氏によると、突然死だったようです。
    http://www.takachiho-haruka.com/
    かなり大まかな分け方をすると、漫画家には二つのタイプがあって、常に自分を見失わず、超越的な視点で始めから終わりまですべてを理知的に構築する「静」のタイプと、作者自らが世界観に没入し、ある種のトランス状態ともいうべき没我の境地で創作活動をする「動」のタイプがあると考えることができますが、永井豪とダイナミックプロの人々は、いうまでもなく後者の典型です。なかでも最も「トランス度」の高い人が、石川賢氏でした。

    とかく落とし所を見失いやすい「トランス型」の作品は、未完に終わったり、破滅的なラストを迎えがちで、じっさいダイナミックプロ作品は永井豪氏自身のものを典型に、破滅的なラストを迎えるもの、諸事情により未完に終わるものが少なくありません。しかし、この場合は……。

    ゲッターロボアーク 1 (1)
    ゲッターロボアーク 1 (1)永井 豪 石川 賢

    双葉社 2002-06-12
    売り上げランキング : 207433

    おすすめ平均 star
    star男がかっこいい!

    Amazonで詳しく見る
    by G-Tools


    ご存命中に落とし所が見つかるだろうかとよく友人と話していたのですが、ついにゲッターロボは「間に合い」ませんでした。無常です。


    ◎ノーベル経済学賞受賞者のミルトン・フリードマン氏、94歳で死去(Nikkei Business Online)

     [サンフランシスコ 16日 ロイター] 米経済学者で1976年にノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマン氏が、16日心不全のため、死去した。94歳だった。

     フリードマン氏は、政府の規制に対し企業の自由理論を提唱するとともに、通貨供給量の安定的な伸びを実現する金融政策を擁護した。

    http://business.nikkeibp.co.jp/article/reuters/20061117/113907/


    http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_e49c.html

    こちらは、1970〜80年代の英米日における新自由主義路線を理論面でリードした、マネタリズムで知られるシカゴ学派の経済学者、ミルトン・フリードマン氏です。福祉国家が自由の足かせとなる契機に警鐘を鳴らした人は数多ありますが、それがこれほど明確に時代をリードした例は雨夜の星です。雪斎氏のブログ(上リンク先)で、訃報に触れました。

    選択の自由―自立社会への挑戦
    選択の自由―自立社会への挑戦Rose Friedman Milton Friedman ミルトン フリードマン

    日本経済新聞社 2002-06
    売り上げランキング : 184933

    おすすめ平均 star
    star古典的名著
    star必読だが批判的に読むべし
    star本当に大切な本

    Amazonで詳しく見る
    by G-Tools


    地方官吏の友人は『価格理論』(好学社, 1972年)などの大部な学術書にたくさんマーカーを入れていたものですが、在野のペダンチストに過ぎない僕はこの『選択の自由』あたりが馴染みのところです。

    こちらは「天寿を全うした」と言っても誰にも不自然に思われないようなお年ですが、まさに時の流れを標す出来事というべきでしょう。なにしろ、上に紹介した『選択と自由』出版から既に四半世紀を経ているのですから。

    Le courant des fois|時流 | 20:41 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
    篠沢教授に3000点//仏文学者・文化人としての篠沢秀夫
    評価:
    ロラン・バルト
    現代思潮新社
    ¥ 2,310
    (1967-07)
    kizasi.jpによると、日本語のブログ界隈では、篠沢教授に触れたエントリーが俄に増えているらしい。容易に想像が付くように、これは先日のはらたいら氏の訃報を受けた現象だ。触れられ方もほぼワンパターンで、「あの篠沢教授は今?」という扱いをされている。しかし、氏はそういう反応をされるに相応しい立場にある人ではない。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/篠沢秀夫

    「篠沢教授」こと篠沢秀夫氏は、モーリス・ブランショやロラン・バルトの研究で知られるフランス文学者で、学習院大学の名誉教授だ。僕などにとっては、バルトの『神話作用』の訳者として馴染みのあるところなのだが、もう少し一般的には、軽妙な語り口の文化批評などが著名で、保守派文化人として知られている。だからこそ、文化人大好きの巨泉に見出され、クイズダービーに出演していたのだ。
    神話作用
    神話作用ロラン・バルト 篠沢 秀夫

    現代思潮新社 1967-07
    売り上げランキング : 171783

    おすすめ平均 star
    starエッセイ集として読めます
    star耐久型

    Amazonで詳しく見る
    by G-Tools


    また氏は、天皇陛下の同級生でもあり、皇室のあり方に関しても一家言持った論者として通っている。先頃も、以下のような読み物を出版されている。先程も名前を出したロラン・バルトはかつて『表徴の帝国』という日本論を出版して話題を呼んだことがある。その日本論の内容そのものはともかく、日本文化を天皇という「記号」の反復として捉える記号論的立場というのは普通考えられているよりもずっと伝統的でオーソドックスな立場であって、近いところでは三島由紀夫の文化防衛論、もう少し遡れば本居宣長の国学にもその起源を求めることができる。篠沢教授の皇室論もやはりそのことを多少なりとも想起させるもので、天皇を日本の文化概念を表す記号(象徴)として捉える一連の立場に連なるものだ。

    だから皇室は大切なのです-日本人と皇室
    だから皇室は大切なのです-日本人と皇室篠沢 秀夫

    草思社 2006-10-07
    売り上げランキング : 11110

    おすすめ平均 star
    star目からうろこの皇室論
    star仰るとおり!

    Amazonで詳しく見る
    by G-Tools


    天皇制に触れるからには、愛国心も避けては通れまい。篠沢教授は近著において、愛国心のなりたちにも触れている。僕は氏の政治的立場に必ずしも賛同できるわけではないのだが、「固有の文明への愛が、地球上どこの集団に属すにせよ、愛国心の基盤」だとする愛国心の要件に関しては肯けるところも大きい。自ら由来し、自らを支える文明そのものに対する、自分を卑下することなしの献身にこそ、都市ー国家の生命は宿り、秩序は生まれる。それを愛国心と呼ぶのならばやはりそれは愛国心なのだろうし、僕としてもそれを肯定するのにやぶさかでないことは、このブログのトップでシモーヌ・ヴェイユの言葉をエピグラムとして引いている通りだ。煽られた不安を背景に、ともすれば押しつけがましい愛国論議がまかり通る昨今、こういう落ち着いた論が保守派と目される知識人の間にも存在するということは、なにほどかは僕たちにとって幸運なことといえるだろう。

    愛国心の探求
    愛国心の探求篠沢 秀夫

    文芸春秋 1999-11
    売り上げランキング : 214539

    おすすめ平均 star
    star愛国心を考えてみよう

    Amazonで詳しく見る
    by G-Tools


    事ほど左様に現在も旺盛に活躍されている篠沢秀夫氏のことを、「あの人は今?」というような、あたかも失われてしまったもののように扱うことは、軽率の誹りを免れないことだ。テレビに出ないからといって無名と扱われるのは、一般大衆の想像力の貧困さと認識の不確かさを幾許かは物語るものであろう。因みに、関西の人が聞いたら卒倒するような話だが、河内家菊水丸氏が関東のメディアにて左様に扱われているという話もある(→Wikipedia記事を参照)。

    ともあれ、今回の件で「篠沢教授って今、何をしているんだろう?」などと思った人は、テレビに脳みそを冒されすぎていると考えた方がよい。テレビに出ない有名人も沢山いるし、そうした人の方が良質ということも少なくないのだから。

    Lire|読書 | 00:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
    カールスバーグ Carlsberg クラブボトル
    もうひとつの僕的定番、カールスバーグ。
    この瓶がグラスの横に並ぶのも、ごく平凡な光景になった。

    カールスバーグ クラブボトル

    先頃新登場した、カールスバーグのクラブボトル。缶入り製品は先の3月いっぱいで販売を終了してしまったが、それと入れ替わるように姿を現した。グリーンのエンボス入りボトルというだけでも十分僕の琴線に触れるのだが、味も相変わらずのカールスバーグなので安心して飲める。デンマークといえば淡色ビールで有名だが、こちらはこちらでマイルドな味わい。さっぱりしつつ、艶気も十分だ。



    デンマークのタラコ缶

    つまみはこれ。デンマークのタラコの味付け缶詰で、huevos de bacalao。しかし、空けてそのまま食べてしまったので、淡泊な味わいになってしまった。適度に調理・味付けした方がいいみたいだ。




    つまみ関連も、もうちょっと工夫して自作してみた方が面白いかもしれない。
    『ヨーヨーの猫つまみ』とまではいかなくとも。

    ヨーヨーのちょこっと猫つまみ
    ヨーヨーのちょこっと猫つまみ池田 あきこ

    中央公論新社 2003-07
    売り上げランキング : 267421

    おすすめ平均 star
    starもうひとつの池田ワールド
    starかわいい猫の季節のお料理レシピとお話
    starうきうき気分になれます。

    Amazonで詳しく見る
    by G-Tools


    アニメも面白かったね、これ。すごい時間帯にやっていたけど。

    - | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
    白川静先生、逝去

    (旧サイトから転載)

    不世出の碩学、白川静先生が亡くなりました。


    ◎訃報:白川静さん96歳=漢字研究の第一人者、中国文学者(MSN毎日インタラクティブ)

    漢字の成り立ちを明らかにした辞書「字統」などを著した漢字研究の第一人者で中国文学者の白川静(しらかわ・しずか)立命館大名誉教授が、先月30日午前3時45分、多臓器不全のため亡くなっていたことが分かった。96歳だった。葬儀は1日、近親者のみで行われた。自宅は公表されていない。後日「お別れの会」が開かれる予定だが、日取り等は未定。

     福井市生まれ。苦学して立命館大の夜間部に通い、在学中に文部省の教員検定試験に合格して、立命館中学の教諭をしながら43年に法文学部漢文学科を卒業した。同年、立命館大予科教授、54年から教授、81年名誉教授。97年、文字文化研究所(京都市)の所長・理事長に就任し、05年から同研究所最高顧問を務めていた。

    http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061102k0000m060092000c.html


    約25年も昔に退職なさった方とは思えないくらい、本当に最晩年まで研究を続けておいででした。独学の大家でもあり、その佇まいそのものが学問への情熱と勇気を鼓舞してくれる、まことに希有な方でした。書家の家系の鬼子として生まれた僕にとって、日本一漢字に通じた碩学は雲上の存在でした。そういうわけで、面識こそ残念ながらなかったものの、個人的にも思い入れの深い先生です。

    此岸での役割を立派に全うされました。どうぞ、ごゆっくりお休みください。

    Le courant des fois|時流 | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |