Cause we are the ...

La ricerca della morale che non dipende da una cosa della trascendenza...
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  • そして少佐はネットの海に消えた…|必然に抗う主体の往還二廻向
    よはん (09/09)
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    宇根 康裕 (09/07)
  • 人は低きに流れ、そしてベヒモスに飲まれる?
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epigraph
  • 「低さ」と名づけられているものはすべて、重力による現象だ。(S.Weil)
  • 水は低きに流れ、人の心もまた、低きに流れる。(H.Kuze)
  • ハハハッ、アステロイドベルトまで行った人間が戻ってくるっていうのはな、人間がまだ地球の重力に引かれて飛べないって証拠だろう?(H.Karn)
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CO2排出ゼロの未来都市、アブダビ首長国が建設へ
路面電車と、口頭で行き先を伝えるだけでその場所に運んでくれる「自動ポッド」が設置され、市内の移動に自動車をいっさい必要ないようにするそうだ。こういう自動ポッドは昔のSFや子供向けの未来絵本なんかにきまって登場したものだが、ついに実現されるらしい。

面白そうじゃない。しかし…。
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Le courant des fois|時流 | 13:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
人は低きに流れ、そしてベヒモスに飲まれる?
先日寄せられたコメントへの返答です。(下にリンクするコメント欄参照)

http://nornsaffectio.jugem.jp/?eid=42#comments


(文中に登場する「1月18日の日記」については、リンク先の双方の記事を参考にしてください。)
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Un passage fragmentaire|断章 | 02:59 | comments(8) | trackbacks(0) | pookmark | |
センター試験ですね

受験票などを手に試験会場へ向かう受験生たち。621大学、156短大が参加する08年度大学入試センター試験が19日、全国736の会場で始まり、本格的な受験シーズンが幕を開ける(東京都文京区の東京大学)  【時事通信社】


http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2338268/2535573

ベストを尽くして頑張って!
冷えるので体調管理はしっかりと。
Le courant des fois|時流 | 07:41 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
もうすぐ攻殻機動隊?
毎年恒例の基調講演で発表された「MacBook Air」。薄さに関してはすでに大きなインパクトを与えているが、僕にとってそれ以上に気になったのは、「Air」という名前と、Expo会場バナーでそこを暗示するような文句を掲げたことだった。

もちろんそれは、高速のIEEE802.11n Wi-fiを搭載したという点に掛かっている。AirMac以来のワイヤレス化の流れの行き着く先なわけだが、今回「MacBook Air」のニュースを聞き、これである種の不回帰点に達したなという感慨を持った。

なにしろ、周到である。光学ドライブ非搭載と、「Time Capsule」の同時発表。光学ドライブを外したのは小型軽量化のためといわれているが、「Time Capsule」とペアで考えた場合、このことはもっと積極的な意味合いを帯びてくるような気がする。詳しいことは他所が論評するに決まっている(こんなにあからさまなのだから)ので省くが、要するに、光学メディア全体が旧式メディアになる日がもうすぐそこまできているということなのではないか。実際、僕のところでも、光学ドライブを使用する機会はここのところ極端に減ってきている。

勿論、DVD(ましてBlue-ray Disc)メディアが要らなくなるほど通信技術が発達するにはもうしばらく時間が掛かるだろうが、Appleの思い描くライフスタイル未来像がまたひとつ現実のものとなったことは間違いなさそうだ。

そして僕らは、より深く、シームレスに、ネットワークのリゾームの中に取り込まれてゆくというわけだ。そうなると、《人間》の死とか「孤独に耐性のない人間」の増加とか、いろいろなことが起きてきそうだが、それこそ未来学者あたりが飽きるほど論評していることなので詳細は控えておこう。(了)

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Macintosh | 17:21 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
自由をめぐるヴェイユとスピノザの邂逅
ちょっとした読書メモ。

一時は誰もが無神論者と信じて疑わなかったスピノザと、不在の神を待ち続ける思索者・ヴェイユを結びつけることは、ひょっとしたら突飛な考えと見えるかもしれない。しかし、ヴェイユの論述にはスピノザを意識して書かれたとしか思えない箇所が頻繁に出現するし、両者とも他人を惹きつけてやまない壮絶な生き方をしたことで知られている。『自由と社会的抑圧』の献辞はスピノザの『国家論』から採られているが、どうもそればかりではないような気がする。

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さて、同著にてヴェイユは言う。


恣意的な行為は判断にもとづかない。よって厳密な意味で、自由な行為とは呼べない。(p.84)


この記述は『エチカ』第四部を思い起こさせる。そこにはあまりにも有名な序文がある。「感情を統御し抑制する上の人間の無能力を、私は隷属と呼ぶ。なぜなら、感情に支配される人間は自己の権利のもとにはなくて運命の権利のもとにあり、みずからより善きものを見ながらより悪しきものに従うようにしばしば強制されるからである。」つまり、感情に流されるままの行為、恣意的な行為は「自由な行為とは呼べない」のである。それには知性にもとづく判断が欠けている。では、判断とは?


いっさいの判断は客観的状況を対象とする。したがって必然の網目を対象とする。生きている人間は、なにがあろうとも、頑として揺るがぬ必然に四方から圧迫されつづける。とはいえ、人間は思考する。ゆえに、必然が押しつけてくる外的刺戟に手もなく屈するか、みずから練り上げた必然の内的表象に自身を適合させるか、というふたつの選択肢を有する。ここにこそ隷従と自由の対立がある。(p.84)


必然は「頑として揺るがぬ」ものだから、どう足掻こうともわれわれを拘束しつづける。つまり、必然の圧迫から逃れる術はない。このとき、必然からの解放をもって自由を定義するならば、自由はどこにもないことになる。しかし、ヴェイユはそのようには考えない。必然の網目はわれわれの周囲すべてを覆っている。しかし、隷従と自由の対立は、その前提の先にある。僕らを拘束しつづける自然的、社会的拘束という必然に「手もなく屈する」か、それとも「みずから練り上げた必然の内的表象に自身を適合させる」かによって違ってくる、と。どういうことか?


肉体の非理性的な反作用にせよ、他者の思考にせよ、あらゆる仕草が自身の思考以外を源泉とする場合、その人間は完全な奴隷である。挙動の逐一が五臓六腑をえぐる痙攣から生まれる飢えた原始の人間、笞を手にした監視人の命令につねに身構えているローマの奴隷、流れ作業で働く近代の労働者は、このみじめな極限状況に近づく。完全なる自由については、しかるべく解かれた算術や幾何学の問題のうちに、抽象的な範例をみいだせる。(中略)完全に自由なる生とは、あらゆる現実的な困難がある種の問題として呈示され、行動に移された解答が勝利を意味するような生だろう。そのとき成功の要素はすべて与えられるだろう。いうならば数学者の記号群のごとく、既知にして操作可能なものとして。(P.85)


ここでヴェイユが完全に自由な生について数学を持ち出していることが興味深い。数学の問題もその解答も、論理的必然によってすべてが展開するという意味で、必然に支配された世界である。しかし、解決の糸口が問題に内在するものでしかなく、しかも解決に到るときおのれの判断にしか頼ることができないとき、数学者は状況を知的に支配している。結局は必然にしたがってなるようになっているに過ぎないかもしれないが、状況に知的に関わっているのだ。そして、その限りで彼は自由である。

つまり、自由は徹底的な認識とともにあるということである。揺るがぬ必然に囲まれて生きる僕たちにとって構想しうる自由は、こうした種類のものでしかありえないのではないか。そのように考えたとき、ヴェイユの考え方はスピノザの「神への知的愛」という考え方にきわめて近いところにある。(了)

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PS
因みに、シモーヌの兄アンドレは、ブルバキ代数の中心人物の一人である。
Un passage fragmentaire|断章 | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
ソーシャルブックマーク対応
各エントリーの隅っこに、”P+”と書かれたボタンがあります。

これは、ソーシャルブックマークサービス「POOKMARK Airlines」の行き先追加ボタンです。「POOKMARK Airlines」のアカウントを持っている方がこれをクリックすると、その方の行き先(リンク)表示ページに、僕のところのエントリーへリンクが追加されるというものです。せっかくなので設置しました。

もちろん、僕の行き先ページもあります。
http://pookmark.jp/user/k1morisato

いわゆる「はてブ」の同種ですが、老舗であり、すでにその性格もはっきりしている「はてブ」に対し、「POOKMARK Airlines」はあらゆる意味で「若い」サービスといえるでしょう。その分、「はてブ」とはまた違った個性がこれから出て来ればいいと思います。

僕の行き先ページにもリンクを張っておきます。性質上、こっちの方が数は増えると思いますので。
このサイトの説明 | 00:52 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
テンプレート
どれを使うか、どう使うか、試行錯誤中。
nucleus使ってた頃を思い出すよ。

なにしろいいデザインのテンプレが多いからね。アメブロと違って。
落ち着くまでもちっと掛かりそう。
このサイトの説明 | 20:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
JUGEM版「Cause we are the ...」起動
記事の移動ほぼ完了。
元いたところも暫くは放置するが、時期が来たら、全削除しないまでも、それなりに整理をする予定。
このサイトの説明 | 21:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
新天地
二度目の引っ越し。

◎最初のblog
http://nornsaffectio.blogspot.com/

◎二度目のblog
http://ameblo.jp/nornsaffectio/

いまのところ旧サイトも過去ログ倉庫として、また当時関連のあった言及先やコメント等を保存する目的で、削除せずに残してあるけど、今後どうするかは未定。近日中に決める。
このサイトの説明 | 05:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
テスト
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- | 04:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |