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野球評論家の値うち
采配騒動ネタ、ラストです。

事実としてはどうでもいい騒動であり、そのくせ、さまざまな立場にある人の感情を刺激しやすい事例だっただけに、先走って暴走する人も現れたりして興味深い展開を見せた落合采配問題も、山井投手の肉刺が本当だったことが、写真および第三者の証言等によりいかんなく証明され、騒動終了。

◎優先順位/心はいつもドラゴンズブルー♪
http://blog.goo.ne.jp/urarami/e/7e88bfb96660262433e54f82db46740f
(概観するのに便利なためリンクさせてもらいました。)

結構色々な人からコメントが出たことにより、その人の言論に対する態度とかマナーとかいうことが明らかになったことが、今回のいちばんの収穫かな。

それにしても、野球評論家って、案外気楽な職業のようです。ふつう評論家と名の付く者ならば、言及する対象についてあらゆる情報を可能な限り集め、証拠を挙げつつ論証していかないと商売にならないものですが、そうでない分野もあったみたいですね。そこはどうやら、ろくすっぽ取材もしないばかりか、その日の新聞記事(それもみずから専門とするところに関わる記事)すらまるでチェックしなくても喋ることのできる分野みたいです。

谷沢健一氏は、マメの情報を速やかに公表しなかった落合監督をなじることにより、みずからの取材不足を責任転嫁する発言をしました。OBなら訪問取材くらいしてほしいものですが、それが難しくとも、公衆の面前で話す前にせめて、たとえば当時のベンチの事情を知る者(たとえば阿波野氏など)に話を聞く程度の知恵が働かなかったのでしょうか。それとも、最初からやる気がなかったのでしょうか。要するに、氏の職業倫理というのはそういうもののようです。

彦野利勝は取材不足もさることながら、それ以前に、およそ言論に関わるものとしての最低限のマナーも備えていません。お里が知れます。

まあ、嫌味はこのくらいにして。

まともな落合批判もありました。江本孟紀氏のものです。明らかになった全事実を踏まえた上でも、彼の批判は有効です。たしかに、素人にも訴えかけるようなプロ野球全体の人気という観点から判断すれば、今回の交代劇は批判されるべきでしょう。ただそれは、プロ野球人気というものが一人の監督によってどうこうなる種類のものでないこと、および落合博満という人の公然たる行動原理を考えると、理想論に過ぎるように思えます。まあ、そこは、意思の格率の問題というやつでしょう。あくまで「野球という職業で稼ぐ」ことをすべての価値とする落合監督は、人気優先の江本氏らとはすでに価値観が違っているのですから。

それにつけても、思いますね。この程度の他者すら許容できない理性って、何なんだろうね、と。

とりあえず今度の騒動は、野球評論家たちの言葉の信頼度を客観的に明らかにする役目を果たしました。かれら一人一人が自分らの言葉にどれほどの職業的倫理観を持ち、どういう姿勢で言葉を選んでいるか、これほど衆目に明らかになった事例はなかったでしょう。既にネット上でもこの騒動は、事実上そういう扱いになっているようです。

さて、誰が何点ついたことやら。
Le courant des fois|時流 | 21:17 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
日本シリーズ落合采配・各所のコメント分析
昨日の続き。

まあ、この騒動自体は論点とも言えないようなことだし、僕としてもどうでもいいのだが、せっかく便利なものが出てきたので、集めた人を信頼し、あくまでそれを前提としてコメント分析をやってみる。日本語による理性如何ほどのものかという意味で、意外に面白かったこともあるし。


◎おまけ:どっかに載ってた評論家とかの意見/【仮面で】関東の私大の1年生の日記【ICUへ】
http://d.hatena.ne.jp/yusuke-a/20071103

◎落合監督、オチはどうしますか?/ダイノジ大谷の「不良芸人日記」
http://mycasty.jp/ohtani/html/2007-11/11-03-864473.html


なお、引用したコメント主が昨日図にした四象限のどこに位置づけられるかも書いてみることにする。1〜5で、数字が大きいほど矢印の末端に近いこととする。便宜のため、もういちど図を貼っておこう。

四象限


では、各人ごとにいってみようかな。


広岡達郎「これは信念に突き動かされた采配だ。 中日を五十三年ぶりの日本一にさせるんだという 落合監督の強烈な意思を誰も邪魔する事はできない。 日本シリーズで初の完全試合という個人記録ですら、 入り込む余地はなかった」(中日新聞)


管理野球の主唱者・広岡達朗氏のコメント。監督としても名将と呼ばれる存在。

この人自体好き嫌い別れるとは思うが、さすがに言葉に含蓄がある。「信念に突き動かされた」、「落合監督の強烈な意思」という部分に見られるように、落合博満という人の行動原理とそれゆえの采配の必然性を理解した上で評価しているのがわかる。この広岡氏、落合監督とはこれまで野球観・野球理論をめぐっていろいろ紆余曲折のあった間柄であり、ある意味ライバルのような関係にあった。コメントは、そういう広岡氏ならではの言葉といえる。尤も、広岡氏だったら自分でもやった可能性が充分ある気がするけれども(苦笑)。

座標上の位置づけは、「好き・嫌い:0」の、「評価できる:5」かな。なんと座標軸の上。好き嫌いでものをしゃべらない人だからなあ。



東尾修「私が投手なら監督とケンカしている。しかし53年ぶりの日本一を最優先するのは当然。大げさに言えば自分の首をかけての決断」(テレビ朝日)


この人はものごとをケンカに喩えすぎるきらいがあるが(笑)、それがこの人なりのものの考え方であり、世界観なのだろうと思う。因みに、勿論この人も監督経験者。落合と山井は監督と選手ということで、監督の権威に逆らえるはずがないという意見もあった。しかし、いつも外野からチェックされている以上そうとばかりもいえない事情があるのは「自分の首をかけての決断」という言葉の通り。そのあたりの事情をこの人はよく理解しているのだろう。この人の任期中も色々あったものね。座標は「嫌い:4」の「評価できる:4」で、象限は3。



石原慎太郎「落合は見事だと思う。泣いて馬謖を斬ったんですよ。私は落合監督は絶対正しかったと思う。あれが本当のリーダーだ。」


野球界以外の人物その1。

政治的にも文化的にも、学問的にも文学的にもこの人のことを僕は好かないのだが、リーダー論そのものとしては間違っていない。リーダーに非情さが必要だというのは帝王学の基本だからね。そういえば、「太陽にほえろ!」でも、山さんが「俺もボスに唯一かなわないことがある。それは、非情になれることだ」と言っていたなあ。尤も、昨日言った通り、今回のケースが「非情」が問われるケースとも思わないけど。座標は「好き:5」、「評価できる:5」で、象限1。



牛島和彦「53年ぶりの日本一が懸かるマウンドとなると分からなくはない。難しい決断だったと思う」(スポニチ)


ついさっきまで失念していたが、この人も監督経験者だったね。やっぱ監督経験のあるなしが、決断の難しさを理解できるか否かの分かれ目になるのかな。コメントそのものは、慎重な牛島氏らしいコメント。「好き:1」「評価できる:2」で、微妙に1。



権藤博「監督を経験した立場から言わせてもらえば、個人記録よりチームの勝利が優先。落合監督らしい完璧な守りの野球。」(報知)


はっきりと自分の立ち位置を弁えたコメントをしたのは、監督としてかつて横浜ベイスターズを日本一に導き、選手時代は過酷な連投により二年で燃え尽きた伝説の投手・権藤博氏。今回のケース、立ち位置コメントでこの人に何か言える人はいないでしょう。「好き:2」「評価できる:5」の、1。



達川光男「1番いい投手を最後に出すのは当然。何も問題はない」(報知)


簡潔極まるコメント。監督経験者。どこか「当ったり前(めえ)じゃねえか」というニュアンスが感じられるのが達川氏らしいところ。「好き・嫌い:0」(判断不能)の「評価できる:3」。



山本功児「考えられない継投ではない。他のチームの監督にもいい勉強」(報知)


監督経験者。熱血漢で知られる。「いい勉強」というあたり、やはり決断の困難さへの理解が伺える。「嫌い・1あるいは0」「評価できる:3」で、微妙に3。いや、言い回しに好意のニュアンスが伺えないかなと思って。



山田久志「高く評価してもいい。しかし自分が監督なら絶対に交代させることはない」(ニッカン)


立場上微妙な人。いうまでもなく前監督。CBC解説陣で反落合を除いたら人が足りなくなり、その因縁でサンドラ準レギュラー解説者になった……などと、穿った見方もできるかもしれない。「自分ならやらない(嫌い)」ということと「評価できない」ということはまったく別のことだというのがよくわかるコメント。(そんなことさえ弁えていない人が批判サイドの人には多い。)「嫌い・4」「評価できる:4」で、典型的な3。



森祇晶「考えが浮かんでもなかなか行動に移せるものではない。良くぞ決断した」(ニッカン)


西武黄金時代の宰相であり、名将といわれる人のコメントだけに、紹介されることが多いコメント。やはり、「決断の困難」に言及している。称賛のニュアンス強し。…まあ、この人も「野球を楽しまない人」ということで、落合監督との共通点が伺える。ひょっとすると、黄金時代を築ける監督の条件なんかにも関わっているかもしれない。「好き:5」の「評価できる:5」で、最も左上(1)。



上田利治「勝ち切るためには当然の策だろう。」(デイリー)


この人も非情と言われた名将。森氏同様、行動原理に近いものがあるかもしれない。落合監督の日ハム選手時代監督だった人でもある。「好き:1あるいは0」の「評価できる:3」。



野村克也「10人の監督がいたら10人代えない」(テレ朝より抜粋)


説明不要だろう。代表的な批判的コメントとして言及されているが、留保している事項が多く、じっさいはそう単純には割り切れないところがあると思う。何せ、事情がよく明らかになっていない段階でのコメントであった。「10人の監督がいたら10人代えない」という言葉の後には、「だから落合監督らしい」という言葉が続く。その意味で、もっと注意して見直した方がいいコメントといえる。(観たい人はYoutubeあたりに行けば観られるでしょう。場の性質上推奨はしかねますが。)

僕としては、まったくの批判というよりは、疑問・とまどいが表明されたに留まっている印象。とはいえ、「決断の困難」と「勇気」には言及しているわけで、それなりの評価は伺える。「嫌い:0から5」の、「評価できる:2」で、昨日言った通り象限は3。


浦和レッズ田中達也「ファンとして完全試合は見たかったが、あそこで代えるのはすごいと思った。チームあっての個人だから、そこを忘れちゃいけない」


野球界以外の人物その2。ファンであり、サッカー選手という立場からのコメント。チームプレーを特に意識しやすい立場なだけに、そこを強調している印象。「好き:4」、「評価できる:4」で、1。



星野仙一「落合監督に投手経験がないからなのか、1点差だから岩瀬に代えたのか、非常に難しい判断ですね。私が監督なら、きっとみなさんと考えは一緒でしょうね。投げさせていたと思います」(サンスポ)


当初僕は、この人がいちばん怒ると思った。というのも、星野仙一という人は、投手が怪我して燃え尽きてでも満足して投げきることを重視するタイプの人で、落合監督の考え方とはまさに正反対だから。しかし、じっさいには結構評価しているみたいだ。監督経験者だからなのか、決断の難しさと勇気への理解をきちんと示している。

考えてみれば、第一次星野政権下でも、落合選手との関係は床柱を背にするような微妙な間柄だったものなあ。反目しあっているのか信頼しあっているのか。ただ、ライバルあるいは同時代の野球人として、なにか通じ合うようなところを持っている間柄ではある気がする。(まあ、山田氏や東尾氏ならもっと言えることだけれど。)あえて「嫌い・5」「評価できる:5」の、いちばん左下に置いてみる(3)。



谷沢健一「落合は監督の器じゃない。(と終始批判的)」(フジとくダネより抜粋)


この部分ばかりが言及されているが、じっさいにはもうちょっと色々言っている。「肉刺のことをなぜ後になって言い出すのか」等。ただ、「これが現代野球か…」と、憎々しげに認めている部分はありそうだ。「嫌い:5」の「評価できる:0〜1」で、象限3。

因みに、この人は監督未経験。西武東尾政権下でコーチ経験はあるが、評価はけして高くない。僕の記憶が確かなら、当時、移籍した石毛氏を引き合いに出して野手のリーダー不在を嘆き、「なぜ今更石毛さんなんだ」と総スカンを喰らったエピソードがあったはず。



玉木正之「これが落合野球やというなら…。日本一になったんやからサッサと辞めてほしい。100年に1度あるかないかの凄い興奮の瞬間よりも53年ぶりの優勝を確実にしたかったというならナント小心な夢のない野球か!本当に気分が悪い。」(本人ブログより抜粋)


ただの感情論。分析する価値がありません。本当、いい大人がよくそういうことを公然と言えると思う。批判するにしろ節度というものがあるはずだが、この人にそんなことを期待しても無駄だということも明白。「嫌い:5」、「評価できない:5」で、象限4(最右下)。



彦野利勝「(采配支持が過半数いたことについて)支持してるのは野球を知らない人達でしょう。あの采配はおかしい」(CBCラジオ)


玉木氏はまあ、もとよりああいう人間だ、で済むのだが、実際今回の件で僕がいちばん見下げ果てたのが、彦野のコメント。あまりに無責任な断定ぶりからは、「プロ野球経験者」というアドバンテージを、言い争いの中で感情的に優位に立つことに利用せんとする卑怯な態度しか伺われない。一体、何を根拠に「支持してるのは野球を知らない人達」と断定できるのか。教えてもらいたいくらいだ。その意味では、単なる感情論の玉木ややくの方がまだしもかわいげがある。

尤も、きちんと根拠があり、実績豊富な広岡達朗や森祇晶を向こうに回して同じことが言えるのなら話は別で、嫌いながらも評価はできるのだが、どうも期待できそうにない。本人の落合采配への態度も、見たまま「嫌い:5」、「評価できない:5」の、象限4(最右下)。



やくみつる「空気の読めない采配」


僕自身がちゃんと聴いたわけでもないのであまり大きなことも言えないが、この人の言いそうなことは何となく予想はつく。まあ、タブロイド思考のゴシップ漫画を売りにしている人なので、こんなもんだと思う。それにしても、「空気が読めない」というのは、たんに事実誤認だろう。「読めない」のではない。「読まない」のだ。観衆敵対的な落合監督は、あえて空気にさからって生きている人なのだから。いちど山本七平でも読んだ方がいいのでは?

これも見たままです。「嫌い:5」、「評価できない:5」の、象限4(最右下)。


因みに、江川卓氏は先程『うるぐす』で、「何となくわかるような気がする」と言っていました。僕としても、彼がそういいそうなのは「わかる気が」します(苦笑)。観衆のナルシシズムにそっぽを向かれて生きてきたという意味では、この人も似たようなところがあるからね。

ではまあ、酔狂はこのくらいにしときましょうか。とりあえず僕的には、今度の件で各解説者の言説の信頼度は決まった。玉木は許す、彦野は最低。

追記

Megahit様経由で知った情報によると、日刊に以下のようなコメントがあったそうです。

落合監督「オレはな。職人なんだよ。野球を突きつめたいんだ。この世界には野球を食い物にしようとする政治家みたいなやつがたくさんいる。そういうやつに負けたくない。オレは記憶に残りたいなんて思わない。オレたちはプロなんだぜ。結果がすべてだろ。優勝回数が1番多い監督が、1番すごい監督なんだ!」(日刊)

昨日の僕の記事がまたひとつ裏付けられたわけですが、落合という人の行動原理はこの通り、いつでも明白です。好き嫌いは別として、こういう人は信頼できると思っている。行動原理が明白なら、行動の理由や必然性も明確でしょ?

それに、野球にジャムを塗って食べようとしている奴ら(イエモンの"JAM"みたいなノリで)に腹が立つというのは凄くよく解る。

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Le courant des fois|時流 | 00:31 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark | |
この程度の他者すら許容できない理性って
何なんだろうね、というのが、この騒動(議論とは呼べまい)に対する率直な感想。

◎落合監督采配にファンの意見真っ二つ/nikkansports.com
http://www.nikkansports.com/baseball/p-bb-tp0-20071102-277926.html

正直言うと、昨日九回表の交代アナウンスを聞いた時点では、ネットやマスコミのデマゴーグがさぞ荒れるだろうな、と思っていた。まあ、半分はその通りだったのだが(苦笑)、冷静な見解も意外と多く、その分だけは救いといえば救いではある。


 日刊スポーツでは「落合采配」について、「ニッカンスポーツ・コム」で、1日午後9時45分から午後11時まで、緊急ネットアンケートを行った。

 1時間余の時間ながら、5266票ときわめて高い関心を示した。「勝つためには仕方がない采配だ」は2642票で、50・2%が落合采配を支持した。一方で「山井1人の完全試合が見たかった」2624票の49・8%と、意見は2つに分かれた。


そして、残念なのは、批判サイドの想像力の貧困である。つまり、「落合の選択を支持することはできない(嫌いだ)が、彼がそういうことをすることは理解できるし、一定の評価はできる」という、論理的には当然ありうるはずの立場の想像力が弱く、その立場のものから説得力のある論が出てこないこと。それが残念なのだ。

まず確認しておきたいのだが、そもそも、落合の采配が「好き/嫌い」というのと、かの采配を監督の采配として「評価できる/できない」というのはまったく違う評価軸である。それはつまり、四つの立場が可能だということを意味する。(こういうところにきっちり分別が立った調べ方をする日本語メディアはいまのところないようだ。引用した日刊スポーツの記事の混同ぶりを見よ。)

四象限


つまり、落合采配を
  • 「好きであり、評価できる」という立場  … 1

  • 「好きであり、評価できない」という立場 … 2

  • 「嫌いであり、評価できる」という立場 … 3

  • 「嫌いであり、評価できない」という立場  … 4

  • という四つの立場が可能なわけだ。

    僕の当初の予想では、1と4(朱色の部分)の立場ばかり目立つことになるはずだった。しかし、実際にネットなどを散見したところ、この四つの立場は絶妙な具合に散らばっており、意外と見方は多様だという印象を持った。

    1と4に関しては、まあ、特に何も言うことはありません。せいぜい感情論に流されすぎないようにと祈るばかり。

    2は、例えば、「当然あそこで岩瀬というのはアリだ。だが、一本ヒットが出てからでも遅くなかった。柔軟さが足りない」という立場。こういうのは、評論家や、多くの観戦者の感情に合致することと思う。案外この立場は中日ファンに多いのではないかと思うのだが、見かけない。まったくの技術論に近いもので、これもあまり言うことはない。

    問題は3だ。「勝つためにやったんだろうが、そんな野球はつまらない」というのが、この象限に属する者の主流だろう。一見冷静に判断に留保を付けたかに見える野村克也や星野仙一も、まあこの類型と見てよさそうだ。それで、なにが問題なのかというと、「勝つため」という断定の仕方だ。

    この断定が、僕にはとても一方的なもののように見えた。というのも、山井投手本人の意志を、この立場の人たちは勝手に代弁してしまっているからだ。ついでに言うと、かれらは、落合監督の腹づもりをも、一方的に断定してしまっている。

    そりゃあ、「勝つため」でない采配は原理的にはあり得ないわけだし、じっさい、8回までパーフェクトでスミ1を守り、9回にどうなるかわからない投手を替えるのは「勝利を確実にするため」以外のものではないだろう。しかし、そういうもののなかにも、不当なものとそうでないものがある。賢明な方にはいうまでもないことだが、それは、替えられる側の意志はどうかということに関わっている。つまり、山井投手にとって交代が不当なものだったかということだ。

    この点の判断に関しては否定的な資料の方が多い。「交代は山井投手の意志」であるということは、落合監督の口からも語られたし、山井投手自身が認めている。加えて、交代直後の山井投手の表情、またその後のテレビ出演時の表情からは、少なくともテレビを見る側からみて、忸怩たる思いを抱いているふうには見えなかった。尤も、陰で泣いている可能性も否定できないのでその点に関しては留保が必要だが、そういったことを示す資料はいまのところ出てきていない。

    しかし、だれかが残念に思ったのでなければ、「勝つためにやったんだろうが、そんな野球はつまらない」という立場は問題にならない。でも、このネタが話題になる経過を見ると、こういう見方をする人が多いことは明白だ。ということは、誰かが残念に思ったのである。では、だれが残念に思ったのか。言うまでもない。観ていた者だ。

    となると、3について可能な立場は一つ。

    「落合監督はそういう采配をできる人であり、かの決定は山井投手本人の意思から出たものであり、現場的にはそれでオッケーなのだろうが、それでは観ている僕たちがつまらない」というものだ。

    要するに、観る側の感情だけが問題なのである。

    しかし、だったらあきらめるほかはない。そもそも、落合博満という人は、苦労してあれほどの大打者になったのに、野球人生を通じてけなされ続けた人である(→Wikipedia「落合博満」の項における「1 来歴」を参照のこと)。つまり、野球人生を通じて「観る側の感情」にそっぽを向かれてきた人なのだ。そういう人に、「観る側の感情」にサービスするような行動を期待できるだろうか?否。ついでに言うと、落合監督は「野球をしていて楽しいと思ったことなど一度もない」とつねづね公言している人だ。だったら、最初からわかっていたはずではないのか。

    要するに、落合博満は他者なのである。

    正直言うと、僕もあの瞬間、残念に思った。滅多に観られるものでないパーフェクトゲームを観たいという感情は野球ファンとして当然あるし、山井大介に期待する中日ファンとして、彼の晴れ姿を観たいという気持も当然あった。だから、あそこで彼に完全試合の大記録がつかなかったことは僕としては残念だった。そして同時に、ゾッとした。落合監督の野球観はここまでドライだったのか、こんなに「観る側」を憎んでいるのか、と。

    でも、個人的な感情を別にすれば、理解はできるのである。たとえば、日本シリーズの勝敗を決定するような大舞台で完全試合をするという大事に、山井投手が耐えられるかどうか。そこを心配したことは、中日のオールドファンには「近藤真一(現在は「真市」)」 の名を出せば思い半ばに過ぎるだろう(→wikipedia)。ビジネスとして、あくまで「野球をして生活資金を稼ぐ」人間として、続投と交代とどちらが得になるか。そこを長期的な視点で判断する場合、あそこを岩瀬に任すというのは充分合理的な選択でありうるのだ。

    そして、生涯ひとすじに「観客に嫌われて結果をのこす野球人」である落合博満が、一時の光輝より、山井の今後の野球人生の方を心配するであろうことも明白である。(尤も、監督は続投させる気満々で、山井大介の方が心配して断ったという可能性もある。とはいえ、そこでスンナリ理解して交代できる人だということもまた明白なのだから、似たようなことだ。)いわば、梶原一騎(あるいは星野仙一)の「熱い」野球観とは正反対の「冷たい」野球観を、落合博満という人は徹底しているのである。

    そういう野球人が一人くらいいてもいいじゃないか、それで中日の日本一が観れたのだし…と僕は思うのだが、そこを受け入れられない人の方が圧倒的に多いだろうとも思った。でも、蓋を開けて見たら、受け入れられる人は結構たくさんいた。その点、日本語による理性も案外馬鹿にはできないようで、正直ホッとしている。


    ◎例1:D1-0F:NS-Game5(11.1) 大願成就/Dragons Mega Hit
    http://megahit.cocolog-nifty.com/dragons_megahit/2007/11/d10f_nsgame5111_ba30.html
    (ドラゴンズ情報として最も信頼の置けるソースと思っている。)

    ◎例2:完全試合 落合采配の何が悪い/Bra-net
    http://branet.exblog.jp/6391274
    (尤も、筆者当人は、四象限のうちでは3より1というべきかもしれないが)

    ◎例3:オレ流交代 読者は「賛成」多数/スポニチアネックス
    http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2007/11/02/06.html
    (こういう調査もあるという例。問題があるところはニッカンと一緒。)


    一方で、こういう話題の専門家というべき連中が案外だらしない。まあ、玉木某が莫迦だなんてことはずっと昔から判っていたことだからいいとして(→記事)、谷沢健一のような人までもがさっき言ったような一方的な立場でものをしゃべっていることが残念だ。野球界がこんな連中ばかりなら、甲子園というあの残酷なイベントが続いているのも道理だし、近藤真市のような例もなくならないだろう。散華を美徳としたり、一億総玉砕なんかを吹聴した連中て、案外彼らのような連中だったんじゃない?そういうのが野放しで権力を握らされちゃうんだとしたら、日本人にデモクラシーって、やっぱ高級すぎる玩具みたいだね …… などと、嫌味の一つも言いたくなってくる。

    まあ、この際それはどうでもいい。久しぶりに暗く長いエントリーを書いてしまったが、それはそれとして、こっちは素直に中日53年ぶりの日本一を祝ってバーゲンセールなどに繰り出してみよう。なにしろ、残念セールとは割引率が違うのだから。(…?)

    (それにしても、「観る側の感情」て、大人がそんなに騒ぐほどの問題なのかね。)


    《追記:2007-11-3 22:30》
    続報。そろそろ事実関係は見えてきたようです。

    ◎落合監督激白「完全試合オレだって見たかった」/中日スポーツ
    http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200711/CK2007110302061424.html

    ◎落合監督継投批判に「気にしてない」/nikkansports.com
    http://www.nikkansports.com/baseball/p-bb-tp0-20071103-278288.html

    ◎おまけ:どっかに載ってた評論家とかの意見/【仮面で】関東の私大の1年生の日記【ICUへ】
    http://d.hatena.ne.jp/yusuke-a/20071103
    (便利なまとめ。こうして並べて見ると、谷沢や彦野は単に「一部のわからずや」という印象。尤も、広岡、森、権藤、上田ら錚々たる面々を向こうに回しても「野球を知らない人達」と言い切る勇気があるなら話は別だが。)


    Le courant des fois|時流 | 00:57 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark | |
    共同体の排他性ーガンダム好き「に」共通する論調?
    (旧サイトから転載)

    こんばんは。相変わらずアイドリング中の夜半です。

    さて、アイドリングしてばかりいてはニンゲン達のマクロな住環境にとってよろしくないみたい。IPCCの第4次報告書が発表されてにわかに周囲がかまびすしくなってきているけど、日本の報道機関の報じ方にバイアスがかけられていることを指摘する向きなんかもあったり。ま、疑似終末論の類は当人達のシュミの問題なので放っておくとして、政策論的には、政策としての費用対効果と選好の問題って感じかな。温暖化問題というのが存在するのは事実だし、ま、論点がごっちゃにならないように、各陣営しっかりぶつかり合ってコンセンサスを形成してくださいな。

    ……まるで関係ない話だったな(苦笑)。「アイドリング」違いだね。

    さて、オフラインでは僕のLightWayちゃんも唸りをあげはじめたものの、こっちはあんまり書いていなかった。しかし、それだと「鈍る」部分があるから、そろそろ、気まぐれついで(というわりに結構経ってしまったが)にここらでひとつ書いておこうかなと思った次第。前も言ったとおり、あんまりこういう採り上げ方は好きじゃないんだけど。

    今宵のネタはこれ。

    ◎「ガンダム好きに共通する論調」に迫る/Excite Bit コネタ(田幸和歌子)
    http://www.excite.co.jp/News/bit/00091170609411.html

    まあ、ぶっちゃけたいした話ではないのよ。共感できるかといえばできる部分もあるし、そうじゃないかといえばそうじゃない部分もある。というより、だれでも(少なくとも現代日本のある世代に属するニンゲンならかなり一般的に)経験的に観察できるようなことを、分析の前振りとしてでなく、ただそのまんま書き出してみただけのものに本当ならコメントのしようもない。現象に関する「語り」(特定の価値観を含む)になら感想も出てくるというものだけど、現象そのものにどうこう言ったって、それは厳然としてそこにあるものなのだから何を言っても仕方がない。土砂降りの日に「今日は天気が悪い」と言われてもリアクションの取りようもないわけで。

    要するに記事そのものに関しては別に面白くもない話だという感想しかないんだけど、そんなことをここで書いたって、それこそ土砂降りの日に「今日は天気が悪い」と言うような話だからね。別にそんなことを書こうと思ったわけじゃない。

    まあ、わかりきったことだけに、前から思っていることを確認の意味で書いておく契機くらいにはなるかなと思って、言葉を紡いだ次第。

    さて、列記された事実から導き出せることが二つある。それは、

  • (1)ガンダムファンはちゃんと「読者」(視聴者というべき?)をやることを怠ってきた
  • ということと、
  • (2)日本人は言語ゲームの他者とのコミュニケーションが相当下手だ
  • ということ。とりあえずこのふたつ。

    まず、(2)の点から。記事で列記されているようなことは、別にガンダムに限らず、自己完結した世界観と言説体系を持つ共同体(たとえば教会とか)を外部から観察したときごく一般的にみられる現象であって、別に特別ガンダムが悪いわけではない。(いや、ガンダムのせいにできなくはないけど、それは「ガンダムが完璧な存在でないから悪い」と言うようなものであって、ちょっと不当な感じになってしまう。)たとえば、外国人の人たちが当地の言語で談笑しているところにひとりぽつねんと坐っているときとか、そりゃあ疎外感を感じるだろうけど、そんなことどうこう言ったってしょうがないでしょうがってこと。それは人間の業ってものなんだから、嫌なら悟りでも何でも開いてくれとしか言いようがない。このくらいのニヒリズム、大人なら持っているはずだと思うんだけど、わざわざ疎外感とかいって話題にされるあたり、日本人はゆりかごから単身飛び出す勇気がないのかな、と。

    でもまあ、こっちはぶっちゃけどうでもいいんだよね。疎外感を感じるのが嫌だってんなら、なるべく自分らの言語ゲームの共同体を出ない(「ゆりかご」から出ない)、あるいは他の共同体に近寄らないようにするのも手なわけで、大概の人はそうして生きている。本件で言うなら、ガンダムファンに出会ったとき、なるべく穏便に避けるようにでもしておけばいい。それで済む話だし、それを勇気がないとか、インドとかに生まれなくてよかったね(*)とか嫌味言ったところで、それこそ大きなお世話でしょ?そりゃあナイーブだとは思うけど。(→この話をもっと突っ込んで聞きたい奇特な人はこっち。)

    まあ、それはそれとして、メインにしたいのは(1)の方。ガンダムファンはちゃんと「読者」をやることを怠ってきたという事。もう少し詳しく言うと、記事にある条件を満たすが如き、いわゆる付きのガンダムファンは、ただその完結した世界観に耽溺するばかりで、その意味を主体的に忖度する作業を怠ってきた。たとえば、ガンダムにおける「戦争」というもののとらえ方のリアリズムを言いたいのであれば、現実に存在する紛争や世界情勢についてガンダムは何を語りうるか、そこからどのような批評を導けるのかということが語られなければならない。文芸や映画なんかはそういうことをずっとやってきたわけで、だからこそこれらのジャンルはそれなりの社会的信用なりステイタスなりを獲得してきた訳だけれど、ガンダムのファンは明らかに文芸などの読者に比してそういう読解の努力というものをネグってきた。そして、ガンダムの自己完結した世界観の「居心地の良さ」を自己陶酔的に語るばかりで、『ガンダム』のテキストを外部とリンクする作業を怠り、その一方で、世界観を共有しない他者(田幸氏や蛍原氏のような)をバルバロイ(蛮民)扱いしてきた。要するに、かれらは閉じた共同体を形成していた。その結果、彼らは世間からの冷たいまなざしを浴びるようになり、かえって嫌われるようになってしまった。今度の記事もそうした流れで出てきたものではなかったか。

    大体、ある世界観や思想について「深い」を連発することしかできないのは、対象を扱いあぐねている証拠なんだよね。近年世に出たseedシリーズが旧シリーズを知る向きから散々な評価を浴びていることは周知の事実だけど、ファン層の状況を見る限り、ああいうのが出てくるのは僕には非常によく理解できる。

    たとえば『ガンダム』の世界にはスペースノイド/アースノイドの区別があり、前者のみニュータイプ化するという定番の図式があるが、そこには富野由悠季の(ともすれば神秘主義的ともとれる)ヴェイユ的問題意識が含まれている。この文脈では「地球の重力に引かれて飛べない」ことが「低劣さ」と結びつき、さらにそれが人間の「不幸」と結びつく。これって『重力と恩寵』そのものじゃないですか、等と僕みたいなヴェイユ読みは思うわけだが、しかしそういう話は聞いたことがない。Googleで「富野由悠季 ヴェイユ」で検索をかけてみても、リファレンス関連以外はほとんどヒットせず、かわりにうちが三件もヒットしてしまう(笑)。そんなに変わった発想だろうか。あれほど「重力」って言葉が思想的な含意を持って使用されているのだから、ヴェイユを思い浮かべるのはごく自然なことだと思うんだけど。それとも、そんなに少ないのだろうか、ヴェイユ読みでガンダム好きの人って。

    まあ、この際ヴェイユは措いておこう。それを抜きにしても、ニュータイプとオールドタイプなんて対立軸は、全共闘世代の富野氏の世代意識、つまり上の世代への反感や軋轢が文学的なレトリック機構を通して反映されたものなわけだが、そういう話をするのはプロ(社会学者とか文芸批評家とか)ばかり。一般のファンは、そもそもガンダムの特定の表現が何を意味しているのかという論じ方自体をしてこなかった。そういう状況を受けて、seedシリーズの「ナチュラル/コーディネーター」の図式が出て来たというわけ。…何を言いたいかわかるよね。

    さて、そろそろ締めたいんだけど、とにかく、『ガンダム』オールドシリーズのファンも、それを横目に疎外感を抱いてきた向きも、ええかげんいい歳をしている。今更多くは望まないけれども、そろそろ大人になって、何とか歩み寄りの努力をするなり、他の文化と割り切って棲み分けるなりしても罰は当たらないんじゃないですか?

    どっちもどっち、好一対だと思うよ、実際。

    *注:インドは日本人の想像を絶するほどの多民族・多言語社会で、言語・宗教・生活習慣の違う者と日常つねに遭遇しつづけなければならない。「夫婦の出身地が違えば、言語も違い、家庭の共通語は英語となる。さらに暮らしている地域の言語、学校の言語、両親の言語、恋人の言語も違うとなれば、日常的に五言語は使いこなさなければならない。結局、一番便利な共通語英語にローカルな言語の様々な表現、ニュアンス、語彙が紛れ込んでくる」(島田雅彦)。もちろん、この差異がしばしば暴力沙汰に結びつくということは皆さんご存じの通り。だから、上記のような態度をとっていては、疎外感からの救済どころか、下手をすれば命に関わりかねないのだ。


    【追記】
    どうも話が通じていないみたいなので、ちゃんと読者をするとはどういうことかについて、新たにエントリーを起こしました。(→「ちゃんと読者をするということについて」)これからこの話題について書き込み等をしたいという人は、最低限こちらを読んでからにしてください。

    もっとガンダムシリーズそのものに関する具体的な話を聞きたいという人はこちら(→「ガンダムシリーズ諸作品に関するメモ」)へ。

    【追記 2007.4.16】
    注を付加しました。
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    ◎シモーヌ・ヴェイユについて書いた過去のエントリー

  • シモーヌ・ヴェーユ「一叙事詩をとおして見たある文明の苦悶」読了
  •  →「秩序というものは〜」のエピグラフは、これとの関連でアップした。

  • 「根こぎ」にされたリベラリズム ------ ロールズと井上達夫の狭間で
  •  →一見わかりにくいが、こう見えてもメインはヴェイユ。

  • スキン変更に伴いエピグラフ追加:『重力と恩寵』より
  • →「安定だけが〜」のエピグラフについて。僕はヴェイユをほとんど社会/政治思想として読んでいる。

    ◎ヴェイユの著作
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    Le courant des fois|時流 | 00:28 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark | |
    Don't wanna be a Japanese idiot! : 情報番組と「意志」の失墜
    ある健康情報番組が問題となっています。

    テレビが食や健康といったトピックスをあつかう際のセンセーショナリズムは今に始まったことでもなく、それをことさらに批判するのもまるで土砂降りの日に「今日は天気が悪い」と言うような話だと思っていたので、こういう採り上げ方をすることは控えていたのですが、たまには気まぐれで書きたくなります。

    さて、例のセンセーショナリズムに関する規範ともなっていたフジテレビ系の人気情報番組「発掘!あるある大事典II」ですが、ついにやっちまったようです。


    ◎記事

  • あるある大事典:「納豆ダイエット」はねつ造 関西テレビ(MSN毎日)

  • 納豆ダイエット実験ねつ造…手口悪質、番組打ち切りも(Yomiuri Online)

  • 「あるある大事典」納豆ダイエットで捏造 関テレが謝罪(asahi.com)

  •      *     *     *                 

  • 番組ねつ造:関西テレビ社長会見 認識甘く、後手後手(MSN毎日)

  • 番組ねつ造:「あるある」出演教授、事前に構成知らされず(MSN毎日)

  • 番組ねつ造:「あるある」に消費者から怒り(MSN毎日)

  • 番組ねつ造:総務省が関西テレビ調査へ(MSN毎日)



  • 夜半としては、こうしてエントリーを起こしている割には別段驚くほどのものでもないと感じているのですが、事前に今般のゲリラ的な納豆需要増加の情報を(ネットやニュース経由でなく)入手していただけに、印象は強いものがあります。

    ◎参考記事:納豆に異常人気! 増産、対応に大わらわ/お豆腐ランド
    http://www.toyoshinpo.co.jp/topics/t0701_8.html

    「発掘!あるある大事典」シリーズの存在は、テレビ番組製作や、過度にその影響を受けた主婦層の日常行動において、少なからず規範形成的な影響力を持つ存在でした。だからこそ、ゲリラ的な納豆特需(?)もあったわけです。その「あるある」の起こした事件ですから、それなりの影響は出るでしょう。

    まあ、製作サイドの暴走については行政がそれなりに対処するでしょうし、それ以上別段のコメントはありません。せいぜい、昨日(つーよか、さっき)あげたばかりのエントリー(→スキン変更に伴いエピグラフ追加:『重力と恩寵』より)の線で、テレビマンの「力への意志」を制御する術について思いを馳せる程度です。

    まあ、それはいいとしましょう。

    それにしても驚くべきは、彼ら(関西テレビや番組製作関係者など)がこういうことをしたことそれじたいではなく、こういう番組が斯様に影響力を持ち、マスな大衆の日常的な行動をこうも直接的に規定してしまっているという事実です。例の1月7日の放送後、普段納豆を食す習慣がないのに納豆の購入に走った人が大量発生したことは先に触れたとおりですが、その人たちの意志はどこに存在するのか。むしろ、こうしてマスメディアの構築した世界観が動機なき者の無意識に侵入し、その行動を斯様に直接的に決定している状況を見ると、個人の自由意志なるものはどこかに雲散霧消してしまっているのではないかと、そんな風にさえ思われるわけです。とりあえず、今度のことで「騙された!」とか「信じてたのに…」などと思った人は、テレビという「つくられたリアリティ」に脳みそを冒されすぎていると思った方がいいです。もはやそれは、貴方の無意識まで蝕んでいることでしょう。

    ……といっても、じつは僕、もともとひとの自由意志なんてものをほとんど信頼していません。それは事実として存在するというより、そういうものとして扱おうと人間社会が取り決めている、いわば当為としてあるのではないか(「意志」という規範)と考えているわけです。この考え方を前提にすると、言い方を変える必要があります。有力番組が人々の行動をほとんど直接的に決定する現象がこうも明確に現出している以上、「意志」という規範はすでに規範力を失っているのではないか。いわば、「個人の意志」という法は死文化しているのではないか、というわけです。

    この認識を前提とすると、個人の意志をどうしていくかということは、少なからず政治的な問題になります。これまでどおり、個人の意志というものの存在を前提とし、その個人意志に基づいた判断を尊重すべきだとする(個人主義的な選択)ならば、まず先に「意志」という規範の再構築に取り組まなければならないでしょう。そのとき、個人の意志というものは、所与の前提ではなく、政策により積極的に確保しなければならない対象ということになります。個人が意志を持ち続けるということが、文字通り政策的課題となるわけです。すると、具体的には、今回「あるある」が放送法を根拠に総務省のチェックを受けたように、問題のあるケースごとに当局が指導するという基本姿勢の延長線上で考えていくのがいちばん穏当でしょう。(じっさい、今度の件でも、こうして行政や社会によるチェックが入っているのだからそれなりにうまくいっているのだと判断することも可能なわけです。)

    他方、個人意志という失効した規範への信頼を捨て、もっと大きな共同体レベルでの良識を重視すべきだとするならば(共同体主義的な選択)、その共同体レベルでの良識が人々の行動に関与する仕方を、それこそプロセス的に構築する必要が生じます。たとえば、今度のような場合、購買決定因子となりうるもの(今回のケースでいえば、番組「発掘!あるある大事典II」)が個人に直接届く以前に、その信頼性を吟味し、チェックし格付けするプロセスを置き、個人に購買決定因子が届いた段階ではすでにその正体が判明した状態になるようにする。そして、そのプロセスは公開、明文化し、民主的アプローチも保証しておく、とか。

    僕としては、後者はあまり気が進みません。あまりにもパターナリズムが強すぎるからです。僕たちがそこまで共同体なるものにオンブにダッコでなければならなくなったとき、犠牲になるのは個人としての自由です。たとえば、コンテンツの事前チェックなんてものは容易に検閲へと転化しうるもので、下手をしたらこうして自由にブログを書くことすらできなくなる可能性がある。そういうのは嫌だから、規範としての個人は維持される必要がある。とはいえ、その個人がすでに判断力を失っている(=個人の自由意志なんてものはすでになくなっている)状況は多かれ少なかれ現実のものとなっているわけで、現に「納豆のダイエット効果」なるものを信じて納豆を買う個人が大量発生してしまっている。これでは、その個人も困れば納豆の製造業者も困る(→記事)わけで、これではこのまま個人の判断力を信頼しつづけるわけにもいかなくなってくる。となると、機構として設けないまでも無力な個人の代わりにものごとを判断する奴は必要で、そういう市民ブレーンみたいのが市井にいて目を光らせる、そういう批評の機能を果たすサービス業みたいなものを形成してゆくしかないかと。リップマン流共和主義ではないですが、そういうことしか仕様がないのかなとも思うわけです。

    新種のテンションへようこそ!
    全てがOKだとは限らない
    そういう意味の「外国」を数多乗り越えて

    テレビは明日を夢想しやがるけどさ
    オレ等はそんなもん食傷しているのさ
    もうウンザリだよ

    とりあえず、僕たちはもうちょっと個人の意志というものについて反省的に考えてみた方がいいようです。少なくとも、個人意志への信頼が社会秩序を不安定化する程度には状況は悪くなっているのですから。(了)

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    ◎参考文献その1:つくられたリアリティと、リップマン流共和主義(上・下二分冊)
    世論〈上〉
    世論〈上〉掛川 トミ子 W.リップマン

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    star苦労して読む価値がある
    starわかりやすい訳
    starメディアにおける「バカの壁」

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    世論 (下)
    世論 (下)W.リップマン

    岩波書店 1987-12
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    starマスコミは世論を反映しているのではなく、世論を作っている

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    ◎参考文献その2:個人主義の再構築、日本型パターナリズム=マターナリズムをめぐる法哲学者の思考(ちょっと専門的かも)
    法という企て
    法という企て井上 達夫

    東京大学出版会 2003-09
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    starさらなる活躍に期待

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    ◎参考CD:通底する問題意識ー「アホなアメリカ人」
    American Idiot
    American IdiotGreen Day

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    stars音楽のメッセージ性
    stars・・・・・・震えが泊まらない。
    starsある一生
    starsグリーンディで濃密な時間を過ごそうぜ
    starsパンクロック

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    PS.
    今回のタイトルはもちろん、Green Day(→iTunes Store)の "American idiot" を意識したものです。(途中に差し挟まれている引用句も微妙に……;苦笑。)彼らは同アルバムのタイトルチューンにて、無意識までメディアに冒された「アホなアメリカ人American idiot」を批判しています。

    ところで、歌手名後のリンク先はiTunes Storeに通じていますが、残念ながら "American idiot" がまだ入っていません。上にAmazonのリンクを張っておきますので、興味のある方はそちらからどうぞ。iTunes Storeへのリンクは、Storeのトラック追加を期待する意味で張り続けておきます。iTunesさん、早く追加してください。

    今宵も読者置き去り一直線。……いーんだろうか、これで。


    (この記事は2007年1月21日に書かれたものです)
    Le courant des fois|時流 | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
    「切り札」としての学校選択の権利 ー 規制改革・民間開放推進会議最終答申をめぐって
    内閣府の規制改革・民間開放推進会議より、最終答申が出されています。

    ◎規制改革・民間開放推進会議の最終答申/内閣府(PDFファイル)
    http://www.kisei-kaikaku.go.jp/minutes/meeting/2006/10/item_1225_04.pdf


    僕が気になるのは、やはり、「9 教育・研究分野」の「(2)教育バウチャー構想の実現」ですね(p.142~144)。

    前にも書いたように、フリードマンの描いた使途限定の金権配布という構想そのものはモデルだけに極論の類ですが、その派生として人数に応じた補助金交付という政策構想というのがあり、その形態に関しては欧米で実際に採用・運用されています。それはつまり、対象となる学生が学校を選択した後その人数に応じて補助金が交付されるという形態で、貧困家庭の私学進学補助を目的とした米国型と、全児童生徒を対象とした欧州型に分かれます。

    まあ、これまでがこれまでですから、学校をもっと自由に選べるようにするという方向性そのものは、「切り札」としての権利保障という観点から僕も肯定するのにやぶさかではありません。なにしろ、いまの学級数・教員数を基準とする制度は、学級なんていう狭い世界の人間関係からさえも離脱しきれないような状況を生んでしまっている制度ですからね。「切り札」の保証も十分でないというのは異常な話ですから、そこをどうにかしようという話の一環としてこういう話が出てくるのは十分理解できるところです。

    ただ、濱口教授との議論でも出てきたことですが、「切り札」はあくまで「切り札」でなければならないわけで、困った生徒・保護者の最終手段としての「就学校の変更」(p.134~136)や(広義の)教育バウチャーなど、学校を選ぶ自由度の確保を検討するならば、同時に、選択した学校の中身のことも考えておかなければなりません。端からジョーカーやエースを乱発するゲームがつまらないように、学校からの退出路の確保が学校そのものの空洞化を招くというのでは話になりません。その点、今回の最終答申でも教員・学校評価制度の導入などが検討されていますが、それだけで足りる話ではないわけで、現今の学級中心のシステムをどうするかとか、やらなければならないことはたくさんあるわけです。そこをどうするかということについて、もっとプラグマティックな議論が必要なのではないでしょうか。(まあ、あまり期待もできないようですが。)

    ところで、濱口教授といえば、当最終答申のおもに「3 雇用・労働分野」に書かれていることに関して、朝日新聞の記事と絡めて詳しくレポートしておられます。(→http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_cf99.html)当局出身で労働政策専門の方だけに、さすがにこの分野に関してはとても詳しくて参考になります。

    まあ、これで規制改革の方針も次のプロセスに移るわけで、今後の動向を注視していくとしましょうか。(了)

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    ●「切り札」としての権利についての参考文献●

    ◎その1:そもそもこの人が広めた言葉です。
    権利論
    権利論ロナルド ドゥウォーキン Ronald Dworkin 木下 毅

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    starドゥオーキン法哲学

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    ◎その2:いま各分野より注目されている憲法学者の基本書。「切り札」としての人権についてp.120〜123をはじめ各所に詳しい記述がある。
    憲法
    憲法長谷部 恭男

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    Le courant des fois|時流 | 22:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
    仏紙リベラシオン、廃刊の危機
    左翼系の新聞として世界的権威をもつ名門新聞、リベラシオンが廃刊の危機に直面している。

    ◎サルトルら設立の名門仏紙リベラシオン、廃刊寸前の危機 - 英国
    【ロンドン/英国 21日 AFP】左翼系新聞「リベラシオン(Liberation)が倒産の危機に直面している。リベラシオンは、1973年にジャンポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)など毛沢東主義(Maoists)の知識人たちが立ち上げた新聞。近年になってフリーペーパーやインターネットの普及により打撃を受け発行部数が減少したことが原因で、極度の経営不振に陥っていた。倒産の危機を回避するため、昨年2005年12月には自社ウェッブサイトの改善や一連の経費削減、従業員56人の人員削減などを行ったが、今年2006年には1300万ユーロ(約19億6000万円)まで増大した赤字を解消することはできなかった。
    http://www.afpbb.com/article/1111089

    左翼系新聞といえば日本では朝日新聞などが連想されるところかもしれないが、いまやほとんど「批判のたたき台媒体」と化している同紙を知的権威という意味でリベラシオンと比肩するなどジョークにしかならないことだろう。どちらかといえば、岩波書店『世界』のもつ、日本の左翼系論壇におけるいまだ根強い権威と比較してみた方が解りやすい。じっさい、リベラシオンの権威は相当なもので、左翼知識人の世界では、リベラシオン寄稿者ということ自体がひとつのステイタスになっているほどだ。日本人寄稿者では大江健三郎や加藤周一などがいる。尤も、ステイタスがあるからといって内容が傾聴に値するとはかぎらないというのは、ベンツやセルシオに乗っているからといって立派な人物とはかぎらないというのと一緒のこと。それにしても、同紙の存在が、世界における左翼思潮の水準を支える大きな支柱だったことは事実である。

    何といっても、かのサルトルがつくった新聞なのだ。ジャン=ポール・サルトルといえば、実存主義哲学者にして小説家として日本でも有名だが、フランスにおいてはアンガージュマン(知識人の政治的参画)の哲学者としてスーパースターに等しい存在だった。スターというものは、好かれることに関してはもちろんのこと、嫌われ批判させることに関してもその影響力が絶大であることを見せつけてくれるものだが、サルトルの場合、その毀誉褒貶の見取り図を描くことによって、ほぼ戦後フランス思想の全体像が理解できてしまう。

    まず、反サルトルの立場で論陣を形成したところでは、保守派と構造主義がある。保守派はかれのいうアンガジェ(参画)がマルクス主義(=スターリニズム)への加担とイコールになっていることを批判した。また、構造主義者はアンガジェの論理の背後にヘーゲル的歴史主義があることを指摘し、そこに潜む(スターリニズムにつながる)暴力性を批判することによって名を上げた。はじめのうちは構造主義者もサルトルの周囲を取り巻く毛沢東主義者のいち陣営だったのだが、のちに左翼的言論全体の退潮とともに保守に転向(ヌーヴォー・フィロゾーフと呼ばれる)してしまった。つまり、結局二つの流れは合流してしまった。

    一方、フランスでは全然影響力がないものの、アメリカや日本ではかなり流行したドゥルーズ等のポスト構造主義哲学の場合はちょっと複雑だ。かれらは、目の前の状況にたいする主体的責任という視座に関してはサルトルを引き継ぎ、歴史主義批判に関しては構造主義を引き継ぐことによって、新たなアンガジェの論理を再構築しようとした。「アンガージュマン=マルクス主義への参加」という通俗的理解は根強いものがあって、サルトルの哲学的認識の威力をよく知っていた若きドゥルーズらは、なんとかアンガージュマンからマルクス主義を引き離し、その哲学のもつ本来の威力を取り戻そうとした。いいかえると、ドゥルーズらは、スターリニズムに呪われたアンガージュマンの概念を、構造的認識というアイテムを使って解呪しようとしたわけだ。だが、結局あまりうまくいっていない。

    そして今日、サルトルによるアンガージュマンの活きた遺産ともいうべきリベラシオンは、インターネットやフリーペーパーに圧されるかたちで言論の世界から退場しようとしている。このことを、マルクス主義崩壊後の左翼思潮そのものの離散による当然の結果と片付けるのはたやすい。しかし、彼らに左翼を代表させることが、左右交えた言論のクオリティーを保証する機能を果たしていたことも事実なのだ。敵が弱くなれば試合から緊張感が失われ味方も堕落するというのはスポーツなどの世界で間々見られる現象だが、そういう意味で保守の言論が弛緩しているのではないかという指摘は保守陣営の内側でもたびたび為されてきた。そして現在、インターネットが新たなメディアを構築する過程において、とっくに流行遅れとなった左翼思想に代わり、「ネットウヨ」などと称される「にわか右翼」が流行(!)しているが、かれらの言葉に何ほどのクオリティーを期待できるだろう。

    僕自身はけっして彼の政治的決断を肯定することはできないが、サルトルのアンガージュマンが思想的言論全般において果たした公的役割を否定することはできない。サルトルの存在は、われわれが東西冷戦構造が存在していた時代の言論に触れる際、いまなお他に代え難い羅針盤の役割を果たしている。一方、羅針盤のない現在の言論はどうか。新しい技術により言説の物量そのものは著しく増大しているが、その内実は弛緩しきっているのである。(了)

    ◎参考1:松岡正剛の千夜千冊『方法の問題』ジャン・ポール・サルトル
    http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0860.html

    サルトルがかつてどんな存在だったかについて語られている。


    ◎参考文献1:若きドゥルーズらが魅せられたサルトル
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    Le courant des fois|時流 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
    相次ぐ訃報 ーーーミルトン・フリードマン氏、石川賢氏、逝去。
    評価:
    石川 賢,ダイナミック・プロ
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    (2007-11)
    最近訃報ばかりですが、我が畏友たちのリスペクトする二人が鬼籍に入りました。
    時代は急速に移り変わっています。


    ◎「魔界転生」などの漫画家、石川賢さん死去(asahi.com)

     石川 賢さん(いしかわ・けん=漫画家、本名・賢一=けんいち)が15日、急性心不全で死去、58歳。通夜、葬儀の日取りは未定。

     69年に漫画家永井豪さんのダイナミックプロに入り、アシスタントを務めるかたわら「ゲッターロボ」(永井さんと共著)、「魔界転生」などを発表した。

    http://www.asahi.com/obituaries/update/1116/002.html



    高千穂遥氏によると、突然死だったようです。
    http://www.takachiho-haruka.com/
    かなり大まかな分け方をすると、漫画家には二つのタイプがあって、常に自分を見失わず、超越的な視点で始めから終わりまですべてを理知的に構築する「静」のタイプと、作者自らが世界観に没入し、ある種のトランス状態ともいうべき没我の境地で創作活動をする「動」のタイプがあると考えることができますが、永井豪とダイナミックプロの人々は、いうまでもなく後者の典型です。なかでも最も「トランス度」の高い人が、石川賢氏でした。

    とかく落とし所を見失いやすい「トランス型」の作品は、未完に終わったり、破滅的なラストを迎えがちで、じっさいダイナミックプロ作品は永井豪氏自身のものを典型に、破滅的なラストを迎えるもの、諸事情により未完に終わるものが少なくありません。しかし、この場合は……。

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    ご存命中に落とし所が見つかるだろうかとよく友人と話していたのですが、ついにゲッターロボは「間に合い」ませんでした。無常です。


    ◎ノーベル経済学賞受賞者のミルトン・フリードマン氏、94歳で死去(Nikkei Business Online)

     [サンフランシスコ 16日 ロイター] 米経済学者で1976年にノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマン氏が、16日心不全のため、死去した。94歳だった。

     フリードマン氏は、政府の規制に対し企業の自由理論を提唱するとともに、通貨供給量の安定的な伸びを実現する金融政策を擁護した。

    http://business.nikkeibp.co.jp/article/reuters/20061117/113907/


    http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_e49c.html

    こちらは、1970〜80年代の英米日における新自由主義路線を理論面でリードした、マネタリズムで知られるシカゴ学派の経済学者、ミルトン・フリードマン氏です。福祉国家が自由の足かせとなる契機に警鐘を鳴らした人は数多ありますが、それがこれほど明確に時代をリードした例は雨夜の星です。雪斎氏のブログ(上リンク先)で、訃報に触れました。

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    地方官吏の友人は『価格理論』(好学社, 1972年)などの大部な学術書にたくさんマーカーを入れていたものですが、在野のペダンチストに過ぎない僕はこの『選択の自由』あたりが馴染みのところです。

    こちらは「天寿を全うした」と言っても誰にも不自然に思われないようなお年ですが、まさに時の流れを標す出来事というべきでしょう。なにしろ、上に紹介した『選択と自由』出版から既に四半世紀を経ているのですから。

    Le courant des fois|時流 | 20:41 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
    白川静先生、逝去

    (旧サイトから転載)

    不世出の碩学、白川静先生が亡くなりました。


    ◎訃報:白川静さん96歳=漢字研究の第一人者、中国文学者(MSN毎日インタラクティブ)

    漢字の成り立ちを明らかにした辞書「字統」などを著した漢字研究の第一人者で中国文学者の白川静(しらかわ・しずか)立命館大名誉教授が、先月30日午前3時45分、多臓器不全のため亡くなっていたことが分かった。96歳だった。葬儀は1日、近親者のみで行われた。自宅は公表されていない。後日「お別れの会」が開かれる予定だが、日取り等は未定。

     福井市生まれ。苦学して立命館大の夜間部に通い、在学中に文部省の教員検定試験に合格して、立命館中学の教諭をしながら43年に法文学部漢文学科を卒業した。同年、立命館大予科教授、54年から教授、81年名誉教授。97年、文字文化研究所(京都市)の所長・理事長に就任し、05年から同研究所最高顧問を務めていた。

    http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061102k0000m060092000c.html


    約25年も昔に退職なさった方とは思えないくらい、本当に最晩年まで研究を続けておいででした。独学の大家でもあり、その佇まいそのものが学問への情熱と勇気を鼓舞してくれる、まことに希有な方でした。書家の家系の鬼子として生まれた僕にとって、日本一漢字に通じた碩学は雲上の存在でした。そういうわけで、面識こそ残念ながらなかったものの、個人的にも思い入れの深い先生です。

    此岸での役割を立派に全うされました。どうぞ、ごゆっくりお休みください。

    Le courant des fois|時流 | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | |
    「1票格差5.13倍合憲」……?
    (旧サイトからの転載)

    毎度恒例の定数配分訴訟。今回は5.13倍に及ぶ一票の格差を巡って争われた。

    ◎1票格差5.13倍合憲、参院定数訴訟 - 東京/AFP通信
    http://www.afpbb.com/article/953952

    ◎[参院選]「1票の格差」5.13倍は合憲 最高裁/livedoorニュース
    http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2529868/detail?rd

    これらのヘッドラインを見て、僕は思わず顔を顰めたよ。

    「え?5.13倍の格差に合憲判断が出たってこと?事情判決の法理はどうしたんだよ?

    この二つのヘッドライン、誰が読んでも5.13倍という格差そのものに合憲判断が出たと思わせるような文面だ。しかし、大学で憲法をマジメに勉強した諸氏ならすぐ疑うと思うけど、最高裁が5.13倍を合憲と明言してしまうとはちょっと考えにくい。まあ確かに、当件で争われたのは参議院議員選挙だし、参院に関しては格差に関する判断が比較的甘いから、(いつも通り)違法宣言をするとまでは(衆議院と違って)行かないだろうとは思った。ただ、事情判決の法理ってものがあるので、違法宣言が出たところで選挙そのものが無効になる可能性はどのみち低い。

    なら、わざわざ格差の数値そのものを合憲と明言する必要はないわけだ。これまでどおり、「ま、望ましくない状態なのは確かなんですがね、参議院の選挙制度は一種独特なもんがありますし、数字だけで一概に違憲かどうか問題にするのは……」って感じで逃げておけばすむところ。にもかかわらず、上記事ヘッドラインには「1票格差5.13倍合憲」とはっきり書いてあったのだ。

    おかしいなあと思っていたら、やっぱり違っていた。

    ◎参院定数訴訟:配分は合憲「1票格差」は是正を 最高裁/MSN毎日インタラクティブ
    http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061005k0000m040049000c.html

    従来通りの立場じゃないですか、これ?前の選挙のあと格差の是正をしきれなかった政治部門に対してちょっともの分かりがよすぎるきらいがあるのはいつものことだし、あとは憲法の教科書にも書いてあるくらいの定番の論理構成。いま現在の格差は問題あるかもだけど選挙そのものがダメってわけじゃないよ、って。「配分は合憲」ってのは、要するにそういうこと。5.13倍が合憲ってわけではない。そっちに関しては判断を避けている。

    とすると、「1票格差5.13倍合憲」ってのは、明らかにミスリーディングだ。法律を知らない人が記事を書いたんだろうね、きっと。


    ◎内容に関連した本1:P.114~116にこれまでの判例を通じた詳細な説明あり
    憲法
    憲法佐藤 幸治

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    stars日本語の表現力の問題
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    それにしても、livedoorニュースの記事、毎日の記事をソースにしてるっつーのに……。

    (注意:夜半は法曹三者や法律学者等、法律に関する情報に職業的責任を持てる立場にある者ではありません。このエントリは一介のペダンチストが彼独自の理解に基づき、かなり大胆に戯画化して判決を評したものです。あまりマジにとらないようにしてください。)

    (注意2<転載時追加>:livedoorニュースの記事はすでに削除されています。)

    (注意3<再転載時追加>:いくつかのリンクは途切れています。)

    ◎内容に関連した本2:P.185~186に「事情判決の法理」に関するまとまった記述あり
    憲法
    憲法長谷部 恭男

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    stars新しい憲法の息吹

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